オンラインで参照できる肥前国絵図 (肥前国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。
↓一覧へ移動肥前国は西海道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保肥前国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764020) がオンライン公開されている。ほかに縮図が存在する。

肥前国は寛永を除く、慶長・正保・元禄・天保の国絵図が現存する。
肥前国は、徳川政権 (江戸幕府) の指示された慶長国絵図が現存する国のひとつである。内容から成立時期は慶長10~12年(1605~1607) と特定され、これは慶長国絵図が作成された時期に一致する。
この『慶長肥前国絵図』は現在 2つのバリエーションが知られ、一方は松浦史料博物館所蔵の『龍造寺駿河守分領・寺沢志摩守分領・松浦式部卿法印分領・五島淡路守分領・大村丹後守分領・有馬修理太夫分領・羽柴対馬守分領絵図』、他方は鍋島報效会 徴古館所蔵・佐賀県立図書館保管の『慶長肥前国絵図』である。後者は前者を天保8年(1837) に忠実に写したもので、本質的な内容は双方で変わらないが、図の範囲は大きく異なっている。なお後者には色彩の異なる 2枚が現存するようである。
松浦史料博物館所蔵の原本は、大きさは東西 293cm × 南北 260cm※1で、肥前国ばかりでなく壱岐国の全体と肥後国 天草郡、および筑前国 怡土郡の一部まで含めて描かれている。これは国ごとに作成する方針が徹底されていない慶長国絵図の特徴であり、天草郡についていえば、対する『慶長肥後国絵図』には本来含まれていなかったと推定されている。つまり現存する『慶長肥後国絵図』には天草郡も含まれるものの、『慶長摂津国絵図』における淀川以南と同様に様式はほかと異なり、あとから補完されたとみられる。その部分では、村のオブジェクトは短冊形となっていて (天草郡以外は不定形の真円または楕円)、これは『慶長肥前国絵図』と共通する様式である。
一方、徴古館所蔵の写本は、大きさは東西 249cm × 南北 234cmで、壱岐国と肥後国 天草郡は含まれず、写す際に省かれたようだ。背景となる自然描写は、『川村b』によれば、金箔が施されるなど極彩色・重厚な原本に対してやや淡彩であるものの、描写自体は丁寧であるといい、また前述のように、範囲が共通する部分においては本質的な内容に変わりはない。
松浦史料博物館所蔵の原本は、オンラインでは公開されておらず、現在のところ閲覧は出版物に限られる。また同館の Webサイトには収蔵資料の目録や検索手段は見当たらず、高精細な画像をオンライン参照できるデジタルアーカイブ等が提供される見込みもない。また徴古館所蔵の写本は「徴古館収蔵品データベース」で『慶長肥前国絵図』として参照できるものの、外観に限られる (900 × 830ピクセル、および 900 × 822ピクセル)。
しかし後者の写本については、別に武雄鍋島家旧蔵のものが武雄市歴史資料館に現存し、『肥前全図』として武雄鍋島家資料 (絵図) 閲覧システムで詳細に参照できる。

大きさは東西 247cm × 南北 224cmで、解題によれば「本図は控図の写しを所持していた大村藩から佐賀藩が天保8年(1837)頃に借用して写したものの一つと考えられる」とあり、徴古館所蔵と同様のものと推定されている。『慶長肥前国絵図』の2つのバリエーションでは、描かれている範囲のほかに、佐賀藩主が双方で異なって記載されていることが知られている。松浦史料博物館所蔵では「龍造寺駿河守」であるのに対し、徴古館所蔵では「鍋島加賀守」であり、本図 (武雄市歴史資料館所蔵) も同様に「鍋島加賀守 (鍋嶋加賀守・鍋嶌加賀守)」となっている。
なお本図は「淡彩」とはいっても、背景となる自然描写のうち、山陵は巧みなグラデーションで表現され、木々に用いられている鮮明な青はよいアクセントを与えている。保存状態も良好で、またオンライン公開されている画像は高解像度・高精細で圧縮も抑えているため、筆致まで確認できる (38,573 × 36,308ピクセル)。ビューアは拡大・縮小があまりなめらかではないが、おそらく実装が単純なためと思われる。環境にもよるのだろうが、余計なことをしていない分、軽量であり動作も軽快である。
| 城下 | 細枠の方形に城名が表記され、記号化されている。彩色は村のオブジェクトおよび郡の見出しと同様に郡別・支配別。 | |
| 村 | オブジェクトは短冊形、郡別・支配別に彩色され、支配の境界をまたがる場合は、それぞれの支配別に分割・彩色されている。村名はその中に記載され、漢字表記、大部分に接尾辞はない。村高は外に記載されている。村名が記載されていないものは、その時点で原本の損傷 (虫喰いか、表面顔料の剥離) で読み取れなかったものと考えられる。なお本図では、個別には村高が設定されず、ほかの村に含められて把握される村が、のちの国絵図では標準的な「○○ノ内」の形式ですでに記載されている。 | |
| 宿駅 | 区別はみられない。 | |
| 郡 | 見出し | 村のオブジェクトと同じ短冊形で、郡が単一の支配下にある場合はひとつ、複数の支配下にある場合は支配ごとに、郡名・郡高とその内訳 (田・畑)・寺社領・物成・小物成、および支配者名が記載され、郡別・支配別に彩色されている。ただし養父郡はひとつの短冊形が彩色によって分割され、それぞれの情報が記載されている。またその養父郡も含めて複数の支配下にある場合は別途、郡全体の見出しがあって合算された数値が記載されているが、その場合は枠がなく、彩色もされていない。見出しによっては寺社領・小物成・支配者名は省略されているが、これらは松浦史料博物館所蔵の原本にはない項目である。松浦史料博物館所蔵の原本と共通して、村数の少ない支配については支配ごとの見出しは省略されている。 |
| 境界 (郡界) | 白線。これとは別に支配 (藩領) を茶線、肥前国と筑前国 怡土郡の間を墨線で分けている。 | |
| 街道 | 朱線で、一里塚なし、道程記載なし、本道・脇道の区別なし。 | |
| 航路 | なし。 | |
| 国界 (国境) | 国境 記載 | 山側・海側ともないが、肥前・筑前・筑後 3国の境界付近に樹木が描かれ「三国松 (三國松) と記載されている。またその付近に「筑前境」、やや離れて「筑後之境」とあるが、性質としては国境記載というより隣国記載に近い。 |
| 隣国 色分け | なし。 | |
| 方角記載 | あり。 | |
| 川幅記載 | なし。 | |
| 目録 | なし。ただし松浦史料博物館所蔵の原本には存在する。 | |
| その他 | 五島列島と長崎の間のかなり長崎寄りに「椛島 五島 間四十八里 (椛嶋 五嶋 間四十八里)」とあるが、島名を取り違えているとみられる (あるいは当時はそう呼ばれていたのか)。 | |
上でも触れたように、本図では村のオブジェクト、郡の見出し、および各城は郡別・支配別で彩色されている。これは郡が複数の支配下にある場合はそれぞれで彩色されているものの、その色は支配者 (藩) で統一されているわけではないというもので、つまり藩領が複数の郡にまたがる場合はそれぞれの色が異なるが、絶対でもないという不規則な塗り分けである。たとえばもっとも多くの郡にまたがる佐賀藩は、三根郡・神崎郡は彩色なし (地色)、杵島郡・藤津郡は緑寄りの黄褐色 (利休茶色) で同一だが、あとの各郡はそれぞれ異なる彩色である。また同じ高来郡の佐賀藩領でも大部分は黄色だが、島原半島 (神代城周辺) では彩色なし (地色) となっている。この彩色なし (地色) は彼杵郡の幕府直轄領 (長崎町周辺) と同じである一方、高来郡の幕府直轄領 (野母ノ内 か𛄌) は桃色である。
なお松浦史料博物館所蔵の原本では完全に支配別で彩色され、その凡例が目録に含まれる。またこれにより郡の見出しに支配者名は記載されていない。
| ^ ※1: | 『川村b』による。数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。 |
『正保肥前国絵図』は、鍋島報效会 徴古館が所蔵し、佐賀県立図書館が保管する『正保肥前国絵図』と、これを写したとみられる、武雄市歴史資料館所蔵の『五嶋図』および『肥前一国絵図』が知られる。
徴古館所蔵の『正保肥前国絵図』は、大きさ東西 496cm × 南北435cmで、五島列島の部分を含まない。武雄市歴史資料館所蔵はその五島列島の部分を『五嶋図』、それ以外を『肥前一国絵図』に分けて作成され、大きさは東西 261cm × 南北 355cm および東西 415cm × 南北 469cmである。徴古館所蔵も本来は両図があったものの、のちに五島列島の部分が失われたとみられる。

上に示したのは武雄市歴史資料館所蔵の両図 (『五嶋図』『肥前一国絵図』) であり、天明3年(1783) に写された。原本は前述のとおり徴古館所蔵とみられ、そのときには揃って現存していた両図を借用して写したものといえる。目録の奥書にあたる部分に正保4年(1647) の日付が記されている。
徴古館所蔵のものは『慶長肥前国絵図』と同様、外観を確認できる程度である (799 × 900ピクセル)。これに対して武雄市歴史資料館所蔵の『正保肥前国絵図』は、武雄鍋島家資料 (絵図) 閲覧システムでオンライン公開され、詳細に参照できる (40,935 × 55,906ピクセル、および 65,039 × 73,780ピクセル、以下『本図』)。
本図は背景となる自然描写がやや乱雑な印象を受けるものの、忠実に描き写したとみられる。自然描写についても、後代の写本のように省略・略記されているということではなく、樹林帯や山陵の鹿の子模様が丁寧ではないという意味である。いずれにせよ、特に五島列島については徴古館には現存していないとみられ、『正保肥前国絵図』の全体が現存するという意味で貴重な史料である。
本図についてほかの正保国絵図とは異なるか、あまり見られない様式を挙げれば、まず支配関係については「いろは」を各村に付した上で、さらに太い黄線で境界を示している点があげられる。この黄線は地色や鹿の子模様のない山陵の色に近いためか、墨線で縁取られている。
次に本図では一里塚が朱色の点で表現されている。また唐津・平戸・五島の城下は記号化されているが (細枠・地色、唐津・平戸は方形、五島は海岸地形にあわせた不定形)、佐賀・島原・大村では主要な街路に墨線が引かれ、その付近では街道 (朱線) や河川も同じように詳細な形状であらわされている。この表現は宿駅でもみられ、基本的に街道は途切れずオブジェクトの中を貫通し、一部では城下と同様に複雑な分岐・屈曲等も表現され、本図を特徴づける描写といえる。なお大村には「大村丹後守 大村城」と記載されているが、佐賀・島原には特に記載はない。このほか古城は細枠・方形の記号であらわされ、背景化していない (岸嶽古城跡)。
前項で示したように、佐賀県立図書館は徴古館所蔵の『正保肥前国絵図』を管理しているが、これとは別に『[肥前一国絵図]』として『正保肥前国絵図』を所蔵、佐賀県立図書館データベースでオンライン公開している。
![Fig.968 正保肥前国絵図 (『[肥前一国絵図]』・佐賀県立図書館所蔵)](../../images/fig968knz.jpg)
大きさは東西 332cm × 南北 185cmで、本図では佐賀城下に「松平丹後守」、唐津城下に「大久保加賀守」と記載され、『川村b』によれば、この表記が成立するのは明暦3年(1657)~寛文10年(1670) か、延宝5年(1677) の後半に限られる (おそらくは前者)。つまりこれは本図が明暦の大火後に幕府へ再提出し、それをさらに享保10年(1725) 今度は佐賀藩が幕府から借用して写した『正保肥前国絵図』の系統であることを示している (『「明暦の大火」と正保国絵図』も参照)。
本図の様式を武雄市歴史資料館所蔵 (『肥前一国絵図』) と比較すると、支配関係の「いろは」記号は各村に付されているが、境界線は引かれていない。また街道の一里塚の点は、朱ではなく標準的な墨で示され、城下と宿駅も方形であって完全に記号化している。明暦の大火後の正保国絵図の再提出では、必要に応じて現状反映が行われたと理解されている。しかしこれらの差異を前提に刷ると、具体的な是正指示があった可能性が示唆される。ほかに、本図の航路記載 (海上における距離等) や有明海に発達した砂州の情報は朱書きに変更されている。また後者にはついては文字列の方向が上下反対になっている。
また本図では、村高は省略されているほか、村のオブジェクトの彩色は、上下 2色で塗り分ける方式が採用され、色数が抑制されている。この様式は中川忠英旧蔵の正保国絵図に多いが、同旧蔵が作成されたときに変換されたわけではなく、ほかの原本でもそのようになっていたのかもしれない。
本図は傷みが激しく、裏打ち補修され、南半分 (下半分) はすでに失われている。北半分 (上半分) には目録はなく、武雄市歴史資料館所蔵 (および徴古館所蔵) と同様に南半分にあったとみられ、惜しまれる。
前述のように本図は佐賀県立図書館データベースでオンライン公開されており、筆致もわかる高解像度で、かつ圧縮率を押さえた高品質の画像データを参照することができる (26,087 × 14,717ピクセル)。しかし一部を除いて四方はわずかにトリミングされている点は残念でならない。どんな余白であっても、それが無駄で無意味かどうかは閲覧者に判断を委ねていただけるとありがたい。
『正保肥前国絵図』は長崎歴史文化博物館にも『肥前一国絵図』として現存する。『島原城下絵図翻刻稿(10) 「図絵図・郷帳と関連史料」』(2022)によれば、徴古館所蔵・武雄市歴史資料館所蔵と同じく正保4年(1647) の日付が記され、特に言及はないので島原城下の描写も同様でいえ、同じ系統のものである。大きさはわからない。館内で「長崎歴史文化博物館で画像閲覧が可能」とあるので、館内端末で画像データを参照できるようになっているようだ。広くオープンには公開されていない。
慶長・正保と同様に鍋島報效会 徴古館には『元禄肥前国絵図』も現存し、やはり外観に限られるが『元禄肥前国絵図』としてオンライン公開されている (900 × 685ピクセル)。本図は傷みが激しく裏打ち補修されている。『島原城下絵図翻刻稿(10) 「図絵図・郷帳と関連史料」』(2022)によれば、顔料の剥離もあって文字の判読困難な箇所も多いという。
大きさは 東西 700cm × 南北 513cm、文化遺産オンラインの『元禄肥前国絵図』には余白部分 (畾紙) の目録を確認可能な写真データも公開されており、それによれば元禄14年(1701) の日付 (『元禄十四辛巳歳七月』) と松平信濃守の名前が記されている。
佐賀県立図書館にも『元禄肥前国絵図』が現存し、『佐賀藩地図(複製)』として佐賀県立図書館データベースでオンライン公開されている。

大きさは東西 391cm × 155cm。本図は史料名に『佐賀藩』『地図(複製)』とあるように、範囲は佐賀藩領を含む佐賀県部分に限られ※1、近代に複製されたものである。しかし複製とはいっても昭和5年(1930) 6月に手書・模写されたものであって、また村高も含めて記載されていることからいえば、原本を忠実に再現したものかと推測される。また徴古館所蔵では画面の左上 (北西) にある目録は、本図では画面の左下 (南西) にあって、内容を確認することができる。
データベースの備考によれば「村岡碩市」という人物によるもので、散見される情報から大正から昭和前期にかけての技術者らしい。文字以外は水彩絵具によるものと思われる。なお同じくデータベースでは「年代和暦」は「昭和19年」、「年代西暦」は「1944」とあるが、図面上には「昭和五年六月寫」と記載されている。
| ^ ※1: | 現在の佐賀県は廃藩置県後の府県再編の過程を経て成立したため、「佐賀県 = 佐賀藩」ではない。 |
『元禄肥前国絵図』は、長崎歴史文化博物館にも『肥前全図』として現存する。『島原城下絵図翻刻稿(10) 「図絵図・郷帳と関連史料」』(2022)によれば近代の写しではないかという。『正保肥前国絵図』同様、大きさは不明、館内端末で画像データを参照できるようになっているようだが、広くオープンには公開されていない。
冒頭で言及のとおり、『天保肥前国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764020) がオンライン公開されている。ほかに縮図が存在する。ただし縮図については『福井』には「下図」とある。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保肥前国絵図』は東西 711cm × 南北 532cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。
| ^ ※1: | 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。 |
| ^ ※2: | 『紅葉山文庫』(1980)。 |
→ 『凡例』
| 種別 | 参照可否・確定 | 名称等 | 所蔵・公開 | 備考 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 確定 | 他 | 根拠 | ||||
| 慶長 | 所蔵 | 肥前全図 | 武雄鍋島家資料 (絵図) 閲覧システム (武雄市歴史資料館所蔵) | 写 → 参照 | ||
| 慶長 | 所蔵 | 慶長肥前国絵図 | 鍋島報效会 徴古館 (佐賀県立図書館保管) | 写 → 参照 | ||
| 慶長 | 所蔵 | 龍造寺駿河守分領 | 松浦史料博物館所蔵 | 控か → 参照 | ||
| 余州 | 所蔵 | #15762 | 秋田県公文書館 デジタルアーカイブ | 写 | ||
| 余州 | 筆者 | T1-110 | 岡山大学 絵図公開 データベースシステム | 写 | ||
| 余州 | 筆者 | 肥前国[西海道図] | 京都大学貴重資料 デジタルアーカイブ | 写 | ||
| 余州 | 筆者 | 肥前国絵図 | 佐賀県立図書館 データベース | 写 | ||
| 正保 | 所蔵 | 正保肥前国絵図 (肥前一国絵図) (五嶋図) | 武雄鍋島家資料 (絵図) 閲覧システム (武雄市歴史資料館所蔵) | 写 → 参照 | ||
| 正保 | 所蔵 | 正保肥前国絵図 | 鍋島報效会 徴古館 (佐賀県立図書館保管) | 写 → 参照 | ||
| 正保 | 所蔵 | [肥前一国絵図] | 佐賀県立図書館 データベース | 写 → 参照 | ||
| 正保 | その他 | 肥前一国絵図 | 長崎歴史文化博物館 | 写 → 参照 | ||
| 元禄 | 所蔵 | 元禄肥前国絵図 | 鍋島報效会 徴古館 (佐賀県立図書館保管) | [写] → 参照 | ||
| 元禄 | 所蔵 | 佐賀藩地図(複製) | 佐賀県立図書館 データベース | 写 → 参照 | ||
| 元禄 | その他 | 肥前全図 | 長崎歴史文化博物館 | 写 → 参照 | ||
| 天保 | 所蔵 | #764020 | 国立公文書館 デジタルアーカイブ | 正 (紅葉山) → 参照 | ||
| 天保 | 所蔵 | #764196 | 国立公文書館 デジタルアーカイブ | 正 (勘定所) → 参照 | ||
| 天保 | 所蔵 | #764139 | 国立公文書館 デジタルアーカイブ | 写 (縮図) → 参照 | ||
2026.04.02:
2026.03.22:
2026.02.18:
2026.01.31:
2026.01.02: