オンラインで参照できる肥後国絵図 (肥後国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。

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(1) 概要

肥後国は西海道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保肥後国絵図』は紅葉山文庫旧蔵 (#764194) が現存・オンライン公開されている。

Fig.822 天保肥後国絵図 (国立公文書館所蔵)

肥後国絵図は『新熊本市史 別編 第1巻上 絵図・地図 中世・近世』(1993) に集成されている。これによって『慶長肥後国絵図』『正保肥後国絵図』と、国立公文書館には現存しない『元禄肥後国絵図』も参照できるが、このためか、国絵図を同県の誇るべき歴史遺産として積極的にオンライン公開しようという様子は、いまのところ熊本県から感じ取ることはできない。

なお同市史でも、国絵図全体については 1/2ページのサイズであって、外観がかろうじてわかるだけである。

(2) 慶長肥後国絵図

『慶長肥後国絵図』は、永青文庫が所蔵し、熊本大学附属図書館に寄託されている。後者には貴重資料デジタルアーカイブが存在するものの、2025年 4月の公開でわずかな数の史料しか公開されておらず、『慶長肥後国絵図』を含む国絵図も含まれない。「今後のアーカイブ充実にもぜひご期待ください!」とのことで、大いに期待する。

前項のとおり本図は『新熊本市史 別編 第1巻上 絵図・地図 中世・近世』(1993) に収録され、また『肥後の絵図』(1991) でも全体を確認できる。後者は 1ページサイズであるものの、四方のトリミング量が大きい。部分図では『新熊本市史』に熊本城周辺、『新宇土市史 資料編 第1巻 絵図・地図』(1999)に宇土城周辺、『相良村誌 人文編』(1996)に人吉城周辺が掲載されている。

大きさは東西 247.2cm× 南北 274.5cm、様式についてをまとめると以下のようになる。本図の公開・掲載の状況は前述のとおりのため、『川村a』・『川村b』・『新熊本市史』を基本に、筆者が確認した結果を反映した。

城下天守閣が具体的に描かれている。
天草郡とそれ以外で様式が異なり、天草郡以外のオブジェクトは不定形の真円または楕円、彩色はなく地色と思われる。村名はその中に記載、漢字表記と仮名漢字交じりの混合、接頭辞はないものが多い。村高は内外にまたがる形式で記載されている。天草郡についてはオブジェクトは短冊形、それ以外は不明。
宿駅区別はないものと思われる。
見出し枠なし、郡名・郡高・反別内訳 (田・畑) などが記載されているが、郡によって詳細さは異なる。朱書き。
境界 (郡界)鈍い赤紫 (梅紫) の太線。これとは別に国界には橙の線が引かれている。
街道朱線、一里塚なし、本道・脇道で線幅の区別なし。道程記載もないものと思われる。
航路なし。
国界 (国境)国境 記載山側は、道程記載との区別が不明瞭な形式で 1箇所ずつ「小国ヨリ豊後堺五里」・「阿蘇内牧城ヨリ豊後ノ内日多まで八里」の朱書きが存在し※1、それ以外は 3文字前後の情報が記載されている (文字は判別できない)。海側は記載がないものと思われる。/td>
隣国 色分けなし。
方角記載あり。
川幅記載不明。ないものと思われる。
目録なし。
その他背景となる自然描写 (山陵) は隣国側まで表現され、これを国界を示す橙の線で区切っている。

上でも言及したように、本図では天草郡だけ様式が異なり、区別されている。これは『慶長摂津国絵図』で南東端の淀川以南の様式が異なることと類似し、国ごとに作成する方針が徹底されていない慶長国絵図の特徴でもある。『慶長摂津国絵図』では淀川以南があとから書き加えられたことがはっきりしている。本図については明確ではないが、『慶長肥前国絵図』のうち松浦史料博物館所蔵のもの※2は、本来『慶長壱岐国絵図』として個別に作成されるべき壱岐国などともに天草郡も含めて描いているので、おそらく同様かと推定される。

寛永10年(1633) 幕府は諸国へ巡検使を派遣し、それに先立って慶長国絵図の次の国絵図である寛永国絵図の作成を指示した。本図はこの巡検使派遣にともなう準備に利用されたとみられ、関係する付箋が貼られてのことも特徴である。『川村b』で本図を担当した上原は、このとき本来の『慶長肥後国絵図』に天草郡の部分を補った上で作成された (写された) のが本図であると推定している。

注釈
^ ※1: 『新熊本市史 別編 第1巻上 絵図・地図 中世・近世』(1993) の解説による。厳密な文字・表現は不明。
^ ※2: 『龍造寺駿河守分領・寺沢志摩守分領・松浦式部卿法印分領・五島淡路守分領・大村丹後守分領・有馬修理太夫分領・羽柴対馬守分領絵図』。
(3) 正保肥後国絵図

『正保肥後国絵図』は、永青文庫が所蔵し、熊本大学附属図書館に寄託されている。本図がオンラインでは公開されていない現況については『慶長肥後国絵図』などと同様である。大きさは東西 540cm × 南北 595cm、『新熊本市史 別編 第1巻上 絵図・地図 中世・近世』(1993) に 1/2ページのサイズの写真が掲載されている。

(4) 元禄肥後国絵図

『元禄肥後国絵図』は、永青文庫が所蔵し、熊本大学附属図書館に寄託されている。本図がオンラインでは公開されていない現況については『慶長肥後国絵図』などと同様である。大きさは東西 575cm × 南北 618.5cm、『新熊本市史 別編 第1巻上 絵図・地図 中世・近世』(1993)『肥後の絵図』(1991) で外観を確認できる。後者は撮影時の証明・露出またはその後の補正に繊細さを欠くものの、余白部分 (畾紙) にある目録を中途半端にトリミングできる前者よりは史料を尊重する姿勢を感じる。

(5) 天保肥後国絵図

冒頭で言及のとおり、『天保肥後国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵 (#764194) が現存・オンライン公開されている。

紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2

『天保肥後国絵図』は東西 609cm × 南北 561cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。

注釈
^ ※1: 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。
^ ※2: 『紅葉山文庫』(1980)
(6) 一覧

『凡例』

種別参照可否確定名称等所蔵・公開備考
確定根拠
慶長当該国絵図であることが確定した画像が公開されているが、外観紹介だけである。川村b肥後国絵図『新熊本市史 別編 第1巻上 絵図・地図 中世・近世』(1993) 掲載 (熊本大学附属図書館寄託 永青文庫所蔵)参照
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#15763秋田県公文書館 デジタルアーカイブ
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者T1-111岡山大学 絵図公開 データベースシステム
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者肥後国[西海道図]京都大学貴重資料 デジタルアーカイブ
正保当該国絵図であることが確定した画像が公開されているが、外観紹介だけである。掲載肥後国中之絵図『新熊本市史 別編 第1巻上 絵図・地図 中世・近世』(1993) 掲載 (熊本大学附属図書館寄託 永青文庫所蔵)参照
正保当該国絵図であることが確定した画像が公開されているが、外観紹介だけである。掲載肥後国中之絵図『新熊本市史 別編 第1巻上 絵図・地図 中世・近世』(1993) 掲載 (熊本大学附属図書館寄託 永青文庫所蔵) 元禄国絵図の作成に当たって利用されたものと推定されている。
その他当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵肥後日向両国之図明治大学博物館参照
元禄当該国絵図であることが確定した画像が公開されているが、外観紹介だけである。掲載肥後国『新熊本市史 別編 第1巻上 絵図・地図 中世・近世』(1993) 掲載 (熊本大学附属図書館寄託 永青文庫所蔵)参照
天保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#764194国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (紅葉山)参照
(7) 更新履歴

2026.03.29:

2026.03.22:

2026.02.18:

2026.01.31:

2026.01.02: