ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、豊後国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。
(1) 概要
豊後国は五畿七道のうち西海道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保豊後国絵図』は紅葉山文庫旧蔵が現存し、『天保国絵図豊後国』(#764022) としてオンライン公開されている。

(2) 慶長豊後国絵図
『慶長豊後国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の最初、慶長年間(1596~1615) に作成された慶長国絵図のうち豊後国のものである。『慶長豊後国絵図』は、臼杵市歴史博物館に現存し、『豊後国八郡絵図』として所蔵資料データベースで外観を確認できる。ただし画像データとしては 1,282 × 1,200ピクセルと小さい上に、高い圧縮率に起因する歪みによって検討は限定される。
『川村b』によれば、本図に記載されている支配者の為政期間がすべて重なるのは慶長8~17年(1603~1612) である。その上で『川村b』は、『豊後国慶長御前帳・国絵図関連史料をめぐって」(1993『海南史学 第31巻』所収) を参照して成立時期を慶長10年(1605) と特定し、これよにって本図は『慶長豊後国絵図』の下絵図であると結論づけている。
本図の大きさは東西 234cm × 南北 228cmで、様式をまとめれば以下のとおりである。本図の状況は上記のとおりなので『川村b』を基本に、筆者が確認した結果を反映した。
| 城下 | 記号化されている。形状は青色の枠で囲む方形、中に城名と支配者が併記されている。 | |
| 村 | 村のオブジェクトは真円、彩色はなく地色だが、郡全体が固有の色で彩色されているため、結果的には郡別の彩色になっている。村名はその中に漢字表記・接頭辞ありで記載、支配者名を簡略化した文字列が併記されている。村高は外に記載されている。 | |
| 宿駅 | 区別はないものと思われる。 | |
| 郡 | 見出し | 細枠の短冊形に郡名・郡高・反別内訳 (田・畑) が記載されているが、国東・速見・日田の 3郡は反別内訳は記載されていない。 |
| 境界 (郡界) | 郡全体が個別の色で彩色されており、輪郭線 (縁取り) としておそらく墨線が引かれている。 | |
| 街道 | 朱線、一里塚なし、本道・脇道で線幅の区別なし。道程記載はないが、城下の付記としてその城からの距離情報が記載されている。 | |
| 航路 | なし。 | |
| 国界 (国境) | 国境 情報 | 山側に隣国記載と不明瞭な記載がある。 |
| 隣国 色別 | なし。 | |
| 方角記載 | あり、朱書き。 | |
| 川幅情報 | 不明。ないものと思われる。 | |
| 目録 | 北西に「豐後國 八郡畫圖」の記載があり、次に「一 惣高三拾七」ではじまる国高が記載されているが判読できない。 | |
| その他 | n/a | |
(3) 日本六十余州国々切絵図 豊後国
日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 豊後国』は文字どおりに豊後国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 豊後国』(#15765)として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 105cm × 南北 81cm である。
ほかに『豊後国[南海道図]』 が京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 106cm × 南北 77cm、『〔豊後国絵図〕』(T1-93) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 119.5cm × 南北 78.7cm である。
(4) 正保豊後国絵図
『正保豊後国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち豊後国のものである。『正保豊後国絵図』は、臼杵市歴史博物館に現存し、『豊後一国之絵図』として所蔵資料データベースで外観と部分図を確認できる。
本図の大きさは東西 555cm × 541cmで、余白部分 (畾紙) の目録には郡名・郡高の一覧 (国東 52,935.9600・速見 48,828.8110・大分 58,792.3690・海部 46,372.7390・大野 57,705.5947・直入 35,480.6243・球磨 28,151.6730・日田 29,032.7440)と郡別彩色の凡例、国高 (357,300.515石、惣高都合三拾五万七千三百石五斗壱舛五合)、および支配別の内訳 (『い』~『れ』) が記載されている。
なお、本図は部分図を見る限りは『正保越後国絵図』などと同様、背景となる自然描写まで原本に忠実に描き写された絵図である。保存状態も良好とみえ、鮮やかな色彩がそのままに保たれている。高精細な画像として全体がオンライン公開されることが期待される。
(5) 元禄豊後国絵図
『元禄豊後国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち豊後国のものである。『元禄豊後国絵図』は、臼杵市歴史博物館に現存し、『元禄年中御改豊後国絵図控』として所蔵資料データベースで外観を確認できる。ただし画像データとしては 1,174 × 1,200ピクセルと小さい上に、高い圧縮率に起因する歪みによって検討は限定される。
本図の大きさは東西 532cm × 南北 516cmで、目録の奥書相当の部分には「元禄十四年辛巳」とあるように見え、月の記載はないようである。また『川村a』に基づけば、中川因幡守・稲葉能登守の名前が記載されているはずだが、「いわれればそう見える」程度で判読はできない。修復中の様子をとらえた写真は、国絵図の大きさを実感させ、興味深い。
(6) 天保豊後国絵図
『天保豊後国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち豊後国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保豊後国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵が現存し、『天保国絵図豊後国』(#764022) としてオンライン公開されている。ほかに縮図が存在する。ただし縮図については『福井a』では「下図」とある。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保豊後国絵図』は大きさが東西 519cm × 南北 532cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。
注釈
(7) 一覧
(8) 変更履歴
内容
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- 『慶長豊後国絵図』『天保豊後国絵図』の記事を追加した。
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- 導入文を追加し、概要を追補した。
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- 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
- 『天保豊後国絵図』について外観を示した。
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- 新規作成。