ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、出雲国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。

概要

出雲国 (雲州) は、五畿七道のうち山陰道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保出雲国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図出雲国』(#764219) としてオンライン公開されている。

Fig.879 天保出雲国絵図 (国立公文書館 所蔵)
Fig.879 天保出雲国絵図 (国立公文書館 所蔵)

寛永出雲国絵図

寛永出雲国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図のうち出雲国のものである。『寛永出雲国絵図』は島根大学附属図書館デジタルアーカイブ『出雲國古圖』(#4163)としてオンライン公開されている。

Fig.849 寛永出雲国絵図 (『出雲國古圖』 ・ 島根大学附属図書館デジタルアーカイブ公開)
Fig.849 寛永出雲国絵図 (『出雲國古圖』・島根大学附属図書館デジタルアーカイブ公開)

また、『寛永出雲国絵図』は島根県立図書館しまねデジタル百科でも『出雲国十二郡図』としてオンライン公開されている。

Fig.859 寛永出雲国絵図 (『出雲国十二郡図』 ・ 島根県立図書館 しまねデジタル百科公開)
Fig.859 寛永出雲国絵図 (『出雲国十二郡図』・島根県立図書館 しまねデジタル百科公開)

この 2つの絵図は、色彩が異なるため受ける印象も違うが、内容は変わらない。大きさはそれぞれ東西 109.0cm × 南北 93.1cm、東西 109cm × 南北 78cm で、本図の余白部分 (畾紙) の目録奥書には寛永13年(1636) の日付 (『寛永拾三年子ノ二月六日』) が記され、石高は『国々高寄』(寛永元年) と、『正保出雲・隠岐国絵図』といえる中川忠英旧蔵の間である。内題は「出雲国十二郡 (出雲國十二郡)」で、宍道湖が「風郡」、中海が「天満郡 (天滿郡)」として把握されている。この風郡・天満郡内には村を示すオブジェクト (小判形) は存在しないので、沿岸各郡各村で共有される領域を中立的に表現しているのではないかと推定される。

様式についてまとめると以下のようになる。

様式 (寛永出雲国絵図)
城下松江城が具体的に描写されている。大きさは本図に多い寺社と変わらない。
古城見当たらない。
オブジェクトは不定形の円 (真円・楕円)、沿岸では変形、郡別の彩色。村名はその中に記載、接尾辞なし・漢字仮名交じり表記。村高の記載はないが、原本が下図 (下絵図) または控図によるためか、写本における省略と考えられる。
宿駅区別は見られない。
見出し短冊形・やや太枠・彩色なし (地色)。郡名だけ記載されている。
境界 (郡界)墨線。
街道朱線、一里塚なし、道程記載は一部それらしいものがあるが、峠・坂の名称か。明確なものは余白部分 (畾紙) にまとめられている (松江から四方等)。本道・脇道で線幅の違いはなく、一里塚もないため区別はできない。
航路なし。
国界 (国境)国境 情報山側は「伯耆ノ内米子」の形式。海側はない。
隣国 色別なし。
方角記載あり。
川幅情報なし。
目録見出し「出雲国十二郡 (出雲國十二郡)」または「~図 (~圖)」、郡の一覧 (凡例)、郡堺・道・川・村 (『在所』)・山・海の凡例、総計 (国高)、奥書 (日付・人名)。
その他土地柄か寺社が多く、1箇所あたりの建物 (堂) も多い。前述のように宍道湖が「風郡」、中海が「天満郡 (天滿郡)」として把握されている。

なお、『出雲國古圖』(#2315) は『出雲國古圖』(#4163) と同一史料である (資料番号: 2100797)。

日本六十余州国々切絵図 出雲国

日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 出雲国』は文字どおりに出雲国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 出雲国』として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 145cm × 南北 107cm である。

Fig.958 日本六十余州国々切絵図 出雲国 (秋田県公文書館所蔵)
Fig.958 日本六十余州国々切絵図 出雲国 (秋田県公文書館所蔵)

ほかに京都大学 貴重資料デジタルアーカイブでは『出雲国[山陰道図]』が公開され、大きさは東西 165.3cm × 117.3cm、またほかに岡山大学 絵図公開データベースシステムでは『〔出雲国絵図〕』(T1-105)が公開され、大きさは東西 164cm × 南北 120cmである。

出雲国の場合、さらに島根大学にも現存し、島根大学附属図書館デジタルアーカイブでは『[寛永出雲国絵図]』(#4162)が公開されている。

Fig.957 日本六十余州国々切絵図 出雲国 (『[寛永出雲国絵図]』 ・ 島根大学附属図書館デジタルアーカイブ公開)
Fig.957 日本六十余州国々切絵図 出雲国 (『[寛永出雲国絵図]』・島根大学附属図書館デジタルアーカイブ公開)

大きさは東西 134.0cm × 南北 97cm である。本図では、国境記載に「或ハ~トアリ」、村のオブジェクト等には「イ~」の付記があり、異本による校訂が行われている。その付記の内容はここでとりあげた写本のどれとも整合しないことから、『日本六十余州国々切絵図 出雲国』にはさらにバリエーションがあるようだ。なお、『[寛永出雲国絵図]』 (#2259) は本図と同一史料である (資料番号: 1429870)。

中川忠英旧蔵

正保出雲国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち出雲国のものである。国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には出雲国・隠岐国のものが含まれ、現存・オンライン公開されている (#714239)。この出雲国の部分が『正保出雲国絵図』と推定される。

Fig.882 正保出雲 ・ 隠岐国絵図 (中川忠英旧蔵 ・ 国立公文書館 所蔵)
Fig.882 正保出雲・隠岐国絵図 (中川忠英旧蔵・国立公文書館 所蔵)

中川忠英旧蔵の国絵図は多くの場合、複数に分割されているが、コンパクトに収まるためか、本図は 1枚のまま完全な状態を保っている。大きさは東西 283cm × 南北 363cm で、本図の出雲国の石高 (国高) は、寛永15年(1638) 松平直政が松江に入ったときに引き継いだ『出雲国御成稼帳』に記載されていた国高と一致する。これを示せば以下のとおりである。

国郡高の一覧 (中川忠英旧蔵)
本図松平乗命旧蔵※1
出雲国島根郡
22,695.9666石※2
22,695.9666石
秋鹿あいか
11,711.8170石※3
11,711.8170石
たてぬい
12,510.7610石※4
12,510.7610石
出東しゅっとう
18,188.8550石※5
18,188.8550石
神門かんど
46,220.1270石※6
46,220.1270石
飯石いいし
26,756.0040石※7
26,756.0040石
仁田郡
16,471.0630石※8
16,471.0630石
大原郡
30,314.8350石※9
30,314.8350石
能儀のぎ
39,112.3490石※10
39,120.349石
意宇おう
29,615.8700石※11
29,615.8700石
総計
253,597.6530石※12
253,597.6530石
隠岐国周吉すき
3,461.7310石※13
3,461.7310石
越智郡
2,636.6380石※14
2,636.6380石
知波里郡 ※15
3,129.3630石※16
3,129.8630石
海士あま
2,373.6610石※17
2,273.6610石
総計
11,601.3930石※18
11,601.3930石

本図は、国高から寛永国絵図か正保国絵図のどちらかといえ、『寛永出雲国絵図』の存在から正保国絵図と特定できる。ただし『正保出雲国絵図』でも『正保隠岐国絵図』でもなく、あくまでも『正保出雲・隠岐国絵図』である。様式は正保国絵図に標準的なものであり、かつ正保国絵図と確認できる中川忠英旧蔵に共通のものである。街道は主・副 (本・脇) の区別があって、道程記載に過不足があるようには見えない。また国境記載も同様で、郡界や郡内見出しも標準的である。

本図の興味深いのは古城で、本図では『余州図』や寛永国絵図の方形のような明確なオブジェクトではないものの、共通の台状山 (テーブルマウンテン) で表現され、その台の部分に「古城」と記載されている。正保国絵図以降では、古城は記載がなくなるか、残っても背景の自然描写の一部という扱いである。本図では、それが中間的な表現で描かれ、ある意味、過渡期の描写になっている。

この意味では本図は『若狭敦賀之絵図』と同様、寛永国絵図の可能性も残り、そうでなくても「松江藩領絵図」として作成したものであって、一国単位に分割される直前のものなのかもしれない。どちらも京極氏が関係している。もっとも本図は正保国絵図の様式から外れる部分がなく忠実であることから、その可能性を指摘できるというだけである。

なお、本図の出雲・隠岐 2国の距離はかなり圧縮され、また隠岐のどうぜん (西ノ島・中ノ島・知夫里島ほか) とどうは横倒しになっており、方角も無視されている。とはいえ『天保隠岐国絵図』の島前・島後の方角も正確ではなく、反対に南北方向に寄せられている。実際には南西・北東の関係に近く、どちらでもない。島後の形状は両者ともおかしい。

注釈

松平乗命旧蔵

国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) には出雲国・隠岐国のものが含まれ、現存する (#724963)。オンラインでは公開されていない。

この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『隠岐・出雲国絵図』もオンラインでは公開されていないが、目録は国立公文書館デジタルアーカイブよりも充実し、国郡高が記載されている。

本図の大きさは、写本で東西 296.0cm × 南北 315.5cm であり、(松平乗命旧蔵としての) 原本も同等と考えられる。国郡高は中川忠英旧蔵の記事にまとめた。それによれば完全には一致しないものの、誤写といえる差異といえ、同じ国絵図といえるだろう。

元禄出雲国絵図

元禄出雲国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち出雲国のものである。『元禄出雲国絵図』は 2枚が現存し、どちらも島根大学附属図書館デジタルアーカイブでオンライン公開されている。

1枚は島根大学所蔵の『元禄出雲国絵図』である。

Fig.960 元禄出雲国絵図 (島根大学所蔵 ・ 島根大学附属図書館デジタルアーカイブ公開)
Fig.960 元禄出雲国絵図 (島根大学所蔵・島根大学附属図書館デジタルアーカイブ公開)

『川村aによれば、『元禄出雲国絵図』の正本は東西 1丈2尺3寸 × 南北 1丈1尺9寸とあるので、およそ東西 372cm × 南北 336cm である。これに対して本図は東西 182cm × 南北182cmであることから、正本の 1/2の大きさといえる。余白部分 (畾紙) に目録があり、奥書相当には宝暦7年(1757) の日付 (『寶暦七庚寅年六月』) と松平庄五郎の名前が記されている。

もう 1枚は個人 (野津家) 所蔵の『元禄出雲国絵図』である。

Fig.959 元禄出雲国絵図 (野津家所蔵 ・ 島根大学附属図書館デジタルアーカイブ公開)
Fig.959 元禄出雲国絵図 (野津家所蔵・島根大学附属図書館デジタルアーカイブ公開)

本図も大きさ東西 180cm × 南北180cm であり、やはり正本を 1/2に縮小した写本といえる。島根大学所蔵と同様に余白部分 (畾紙) に目録があるが、本図の場合、奥書の日付・名前は抹消されている。日付はわからないが、名前は島根大学所蔵と同じ松平庄五郎のようである (松江城でも抹消されている部分があり、両者を合わせるとわかる)。

両者の内容はほとんど変わらず、背景となる自然描写も含めて精緻に写されている。しかしより繊細なのは野津家所蔵で、これは『正保出雲・隠岐国絵図』を継承して岩山で表現された古城跡や、西部の三瓶山付近に多い樹林帯を見比べるとわかりやすい。また、寺社については場所によって島根大学所蔵のほうが描き込まれ重厚に映るものの、同じオブジェクトの流用が多く、それぞれを忠実に描写していると考えられるのは、やはり野津家所蔵のほうである。青の発色も野津家所蔵のほうが強い。

一方、村のオブジェクトの向きに注目すると、出雲郡の「武部村」や意宇郡の「白石村ノ内 金山」(村高は白石村とまとめて把握され、郷帳には含まれない金山村) の向きは両者で異なるが、『天保出雲国絵図』と一致するのはどちらも島根大学所蔵である。おそらく『元禄出雲国絵図』の正本に忠実なのは野津家所蔵といえ、一方これを写した島根大学所蔵が『天保出雲国絵図』に反映されたのではないだろうか。

天保出雲国絵図

天保出雲国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち出雲国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保出雲国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図出雲国』(#764219) としてオンライン公開されている。

Fig.879 天保出雲国絵図 (国立公文書館 所蔵)
Fig.879 天保出雲国絵図 (国立公文書館 所蔵)

紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2

『天保出雲国絵図』は大きさが東西 354cm × 南北 350cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。

注釈

一覧

更新履歴

内容

:

  • 外観とメニュー類をリニューアルした。
  • 『寛永出雲国絵図』・中川忠英旧蔵・松平乗命旧蔵・『元禄出雲国絵図』の各記事について内容を成立した。

:

  • 日本六十余州国々切絵図の記事について、表題を『日本六十余州国々切絵図 出雲国』に変更し、説明を整理した。

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  • 松平乗命旧蔵の記事についてわかにくい表現などを修正した。

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  • 『日本六十余州国々切絵図』『寛永出雲国絵図』の記事を若干、追補した。

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  • 松平乗命旧蔵について記事にまとめ、中川忠英旧蔵の記事を追補した。
  • 『元禄出雲国絵図』について記事にまとめ、また外観を示した。
  • 『天保出雲国絵図』の記事を追加した。

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  • 『寛永備前国絵図』の記事について様式を中心に追補した。
  • 若狭国の『若狭敦賀之絵図』の再検討にともない、中川忠英旧蔵の記事で言及している部分を修正した。
  • 『日本六十余州国々切絵図』について記事にまとめ、また外観を示した。

:

  • 導入文を追加し、概要を追補した。

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  • 『出雲国十二郡図』『天保出雲国絵図』について外観を示した。
  • 中川忠英旧蔵を一覧に追加し、記事にまとめた。

:

  • 『 出雲國古圖』について外観を示した。
  • 『十郡絵図』のリンク誤りを修正。そのほか「てにをは」等、文章・表現を適宜見直した。

:

  • 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
  • 同様に一覧表の備考に記載されていた記事を外に出して、表現などわかりづらいところを適宜、見直した。

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  • 新規作成。