オンラインで参照できる石見国絵図 (石見国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。
↓一覧へ移動石見国 (石州) は山陰道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保石見国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#763966) がオンライン公開されている。

島根県関係の国絵図 (石見・出雲・隠岐 3国) は『島根の国絵図』(1994) に集成されている。書誌情報によれば『石見国図』(毛利氏領国時代の石見国図)・『寛永隠岐国絵図』が興味深い (後者が本来の『寛永国絵図』なのか『余州図』なのかは不明)。
浜田郷土資料館に現存する『元和年間石見国絵図 (紙本著色石見国絵図)』は、名称にあるように元和3~5年(1617~1619) ごろの作成と推定されている国絵図で、島根大学附属図書館でオンライン公開されている。

本図には「亀井分」として亀井氏の所領が設定されていることから※1、津和野に同氏が入った元和3(1617) 以後の景観が描かれているといえる。さらに、浜田城のある部分は別の和紙 (懸紙) が貼られた上に描かれていることから、その上書き部分以外 (ベース) は、古田氏が浜田に入って城の構築をはじめる元和5(1619) 以前の景観といえる※2。元和3~5年(1617~1619) ごろというのも、このような景観から推定されているのだろう。
本図の大きさは長辺 350cm × 短辺 173cm である。様式は、小判形に近い楕円で表現された村のオブジェクトが南 (山側) を上に一方向を向いていることや、形状や方角の不正確さ、城を記号ではなく具体的な景観として描くなど、慶長国絵図にみられるものを踏襲している。背景となる自然描写 (山陵・樹林帯) や城 (城郭)、城・寺が存在する独立した山の絵画的な描写は『慶長周防国絵図』『慶長長門国絵図』に類似する。郡界の太い黄色の線は、おそらく原本では金泥であったと思われ、金箔が施されるなど極彩色・重厚とされる松浦史料博物館所蔵の『慶長肥前国絵図』に通ずるものがある。
一方で、城下を街並みまで周囲の縮尺を無視して大きく描くことや、朱線で引かれた街道に道程記載があって、本図の延長に正保国絵図を想像することができることは、本図が寛永国絵図である可能性を示唆している。
なお、このほかに特有の描写として銀山があり、方形で表現された村が構造物で囲われ、付近に「銀山」と付記されている。また開口部付近には番所と思われる小屋が描かれている。この構造物と小屋の組み合わせは、幕府領の代官所が置かれた大森町 (いわゆる石見銀山) が特に大規模で、記号である方形ではなく、街並みや「銀山御城」や「御銀蔵」を具体的な景観として描いた上で、その全体を囲っている。このほか随所に設置された関所も石見国の特殊性をあらわしている。
| ^ ※1: | たとえば美濃郡には、全体 26,362.035 (『高弐万六千三百六拾弐石三升五合』) に対して「亀井分」が 14,010.576石 (『内壱万四千拾石五斗七升六合』) と記されている。 |
| ^ ※2: | 『浜田市誌 上』(1973)によれば、浜田城は近世の城として古田氏が新たに築城したとされる。 |
『日本六十余州国々切絵図 (余州図)』は、秋田県公文書館に 68国のすべてが現存し、秋田県公文書館デジタルアーカイブで公開されている。『日本六十余州国々切絵図』の通称も同館のものによる。『余州図』についての一般論は『6. 寛永国絵図・日本六十余州国々切絵図』を参照。
![Fig.956 日本六十余州国々切絵図 石見国 (『石見国[山陰道図]』・京都大学附属図書館所蔵・貴重資料デジタルアーカイブ公開)](../../images/fig956knz.jpg)
上に示したのは『石見国[山陰道図]』 で、京都大学貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは北西・南東 164cm × 北東・南西 120cmである。 秋田県公文書館デジタルアーカイブでは『日本六十余州国々切絵図 石見国』が公開され、同145cm × 94cm、またほかに『〔石見国絵図〕』(#T1-106) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、同163.4cm × 117.3cm である。
なお『島根県立図書館・松江市立図書館・島根大学附属図書館 合同企画展示・講演会図録』(2010)に「絵図3」として掲載されている寛永10年(1633)『寛永石見国絵図』(島根県立石見美術館所蔵か) も、サムネイルのため得られる情報は非常に限られるものの、見る限りは『余州図』である。右に示すように、同じサイズに『石見国[山陰道図]』(京都大学所蔵) を縮小して並べてみるとよくわかる (上が『絵図3』、下が『石見国[山陰道図]』)。
国立国会図書館には『石見国絵図』(WB39-4) が現存し、国立国会図書館デジタルコレクション (NDLDC)でオンライン公開されている。

大きさは 長辺 514cm × 短辺 208cm で※1、本図は小判形で表現された村のオブジェクトが南 (山側) を上に一方向を向いていることや、背景の自然描写にみられる絵画的な表現など、全体的に『元和年間石見国絵図』を想起させ、おそらくその延長にあるか、強い影響を受けている。
一方で国の形状は、ほぼ長方形である『元和年間石見国絵図』に比べて配慮が見られ、特に範囲に関しては明確化されている。村のオブジェクト (小判形) も小振りで、絵画的描写もおとなしい。銀山に関係する構造物は大森町以外になく、その大森町もかなりコンパクトに表現されている。
様式に注目すると、本図では街道に主・副 (本・脇) の区別があって、一里塚も明示されている。郡界は墨線で引かれ、道程記載・川幅記載・国境記載のほか、沿岸には詳細な情報が書き入れられている。また余白部分 (畾紙) にある目録には、加藤内記助・松平周防守・亀井能登守の名前が記載され、加藤内記助 (明友、吉永藩) は寛永20年(1643)~天和2年(1682)、松平周防守 (康映、浜田藩) は慶安2年(1649)~延宝2年(1674)、亀井能登守 (茲政、津和野藩) は元和5年(1617)~天和元年(1681)※2であることから、本図は慶安2年(1649) 以降に作成された正保国絵図と理解される※3。
しかし本図では、村のオブジェクト (小判形) は郡別ではなく、知行別に彩色されている。また、城下は控えめにはなったものの依然として景観が描写され、このほか寺社以外にも家屋の描写が残る。隣国色分けも施されていない。
これらは幕府が最初に提示した仕様に反するものではない (該当する項目がない)。しかし国絵図の仕様は、各藩の実務者からの問い合わせや内見で明らかになることも多く、佐賀藩や会津藩の記録によれば、このとき幕府は国絵図・郷帳とは別に城絵図の作成も求めていたことから、国絵図における城は簡単な形状のみとし、城下も含めた詳細は城絵図に描くように指示された。小判形の群別彩色についても同様である。隣国色分けは指示があったことを記録から確認することはできない。しかしその仕様の特殊さと顔料の使用量、および慶長・寛永ではほぼ認められないにもかかわらず、現存を確認できる正保国絵図のほとんどでは施されていることから、指示があったと考えるほうが自然といえる。
したがって本図は『正保石見国絵図』であれば、下絵図 (下図) 段階であって未完成のものといえる。また『寛永伊豆国絵図』 などのように寛永国絵図には正保国絵図に相当近いものも存在することから、本図も『寛永石見国絵図』である可能性が残り、その場合、目録の記載は『元禄出雲国絵図』などのように、写本を作成したときに書き入れたか、改められたものではないかと考えられる。
なお、画像データとしては、国絵図本体の部分でおおむね 21500 × 10500ピクセルであり、解像度は高い。しかし扱いは国立国会図書館デジタルコレクション (NDLDC)のほかの資料と変わらないようで、圧縮率は高く、JPEG圧縮特有の「べったり感」が資料の質感を損なっている。
| ^ ※1: | 『日本の地図 官撰地図の発達』(1980)による。 |
| ^ ※2: | ただし『寛政重脩諸家譜』に「(寛永) 十二年十二月晦日従五位下能登守𛂂叙任𛁑」とあり、能登守を名乗るのは寛永13年(1636) 以降。 |
| ^ ※3: | 国立国会図書館編集・発行の『日本の地図 官撰地図の発達』(1980) は『石見国絵図(正保国絵図)』とし、デジタルコレクションの書誌情報に記載された「並列タイトル」にも「〔正保石見国絵図〕 」とある。 |
島根大学附属図書館にも『正保石見国絵図』が現存し、『石見国絵図』として島根大学標本資料類データベースで確認できる。目録情報には「画像」とあるが、120 × 49ピクセルでは何もわからない。
本図の大きさは長辺 510cm × 短辺 209cmで国立国会図書館所蔵とほぼ同じであり、同図を本図の画像と同じくらいに縮小表示をした上で、目をすがめて見れば同系統の国絵図に感じられる。また目録情報の「概要」には「国立国会図書館にこの絵図があることを知って、最初にアクセスされたのは、美郷町である」とあり、文意は理解できないが、やはり国立国会図書館所蔵と同系統らしい (『概要』は何らかの文献からの引用と思われる)。
『津和野町史 第3巻』(1989)には「幕府撰正保石見国絵図」を元禄10年(1697) に写したという国絵図のの「野坂峠附近」が収録され「津和野町郷土舘蔵」とある。しかし筆者が見る限りは、傷みや筆跡も含めて国立国会図書館所蔵と同じである。相当精巧な模写だとしても考えづらい。
コトバンク (ソースは『日本歴史地名大系』)によれば、本図は昭和55年(1980) に津和野町が一括購入したうちの 1点で、全体が「石見国絵図」の名称で島根県の指定文化財になっている。これは『津和野文化財ポータル』の『文化財』でも確認できる。またコトバンク (同) によれば大きさは長辺 509.8cm × 短辺 205.3cmで国立国会図書館所蔵とほぼ同じだが、「北角の貼紙」に「石見国絵図色付之次第」「正保弐年乙酉」などと記載されているといい、これは異なる。
以上からいえば『津和野町史 第3巻』(1989) の記載は誤記で、実際には国立国会図書館所蔵を撮影したものを収録しているのだろうか。どちらにせよ、津和野町郷土館所蔵に「正保弐年乙酉」と記載されているのであれば、誰の名前が記されているのか興味深い。
国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) には石見国のものが含まれ、現存する (#725147)。オンラインでは公開されていない。
この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『石見国絵図』もオンラインでは公開されていないが、目録は国立公文書館デジタルアーカイブよりもやや充実している。
写本の大きさは長辺 508.5cm × 短辺 273.5cm であり、(松平乗命旧蔵としての) 原本の大きさも同様と考えられ、国立公文書館所蔵・島根大学附属図書館所蔵・津和野町郷土館と同系統の国絵図といえる。本図は短辺がほかよりも長いことから、わかる情報も多いかもしれない。ただし「正保弐年乙酉」の記載があれば『福井』か京都府立京都学・歴彩館の目録に言及があるはずと思われ、本図にはないものと思われる。
浜田市教育委員会には『元禄石見国絵図』が現存し、『元禄石見国絵図 (石見国天保国絵図懸紙改切絵図)』のうち、懸紙無しとして島根大学附属図書館デジタルアーカイブでオンライン公開されている。本図は『天保石見国絵図』作成に当たって幕府から提供された分割写本である。ただし後述するように分割写本そのままではない。
分割写本は、その上に変更内容を付箋・薄紙で指示することを目的に提供された。このため、村のオブジェクト (小判形) には村名だけが記載され、枠との間には余裕が生じている。また余白部分 (畾紙) に目録は存在しない。隣国色分けも縁取り程度に最小限である。全体の幅 (東西) は 550cmで、これが 10分割されていることから各薄紙の幅は約 54~55cmで、同様のほかの国絵図と共通する。
画像データとしてはサイズが 8,200 × 4,900ピクセルで、これは村名およびその付記 (枝郷の親村名) まで読み取れる程度の解像度ではある。しかし圧縮率が高く、JPEG特有の歪みによって文字の判読は阻害され、また質感といえるものはほとんど失われている。さらに本図では個別に撮影されたものが、安易に、また左右のトリミングも不十分なままに合成されているため、重なっている箇所では、絵図の一部が絵図ではない部分 (撮影時に絵図が置かれた台等) によって隠されている。一方で上下のトリミングは必要のない箇所でも行われている上に、法則性もない。
なお、本図は「懸紙無し」とあるように懸紙を取り除いたものだが、あくまでも取り除けるものはそうした、というものらしい。上記のとおり質感が失われているため詳しい検討はできないが、局所的にはすでに付箋か胡粉による修正がなされているようだ。
冒頭で言及のとおり、『天保石見国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#763966) がオンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保石見国絵図』は東西 564cm × 南北 368cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。
| ^ ※1: | 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。 |
| ^ ※2: | 『紅葉山文庫』(1980)。 |
浜田市教育委員会には『天保石見国絵図』の下絵図 (下図) といえる国絵図が現存し、『元禄石見国絵図 (石見国天保国絵図懸紙改切絵図)』のうち、懸紙有りとして島根大学附属図書館デジタルアーカイブでオンライン公開されている。本図は『元禄石見国絵図』として紹介した「懸紙無し」に対して、修正指示を記載した「懸紙」(薄紙) を重ねたものである。
どの段階のものかはわからないが、提出するひとつ前の段階のものを控図として残した、と考えるのが自然といえる。画像データとしての性質は「懸紙無し」と変わらず、分割写本とその上に乗せた懸紙との境界など判別しづらい箇所が多く、資料として活用するには限度がある。
→ 『凡例』
2026.04.19:
2026.04.02:
2026.02.18:
2026.02.11:
2026.02.04:
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