ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、播磨国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。
(1) 概要
播磨国 (播州) は五畿七道のうち山陽道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保播磨国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図播磨国』(#763968) としてオンライン公開されている。

(2) 慶長播磨国絵図
天理大学附属天理図書館所蔵の国絵図に『慶長播磨国絵図』があり、『姫路市史 第3巻 本編 近世1』(1991) に別刷の付録として収録されている。同史によれば、本図は、慶長9~10年(1604~1605) に徳川政権 (江戸幕府) の指示によって作成された慶長国絵図ではなく、慶長16~17年(1611~1612) ごろに、播磨国を支配する姫路藩主・池田照政によって独自に作成されたものと推定されている。
本図の大きさは東西 405cm × 南北 224cm で、真円であらわされた各村に村高の記載はなく、郡内の見出しには郡名だけがあり、ほかの必要な情報 (田畑別の郡高内訳、面積・村数) は記されていないなど、実際に慶長国絵図の様式には従っていない。もっとも、これは文字どおりに幕府指示による慶長国絵図ではないというだけで、江戸初期の国絵図という点で貴重で重要な国絵図であるということには変わらない。村のオブジェクトを真円であらわすのも、やはり幕府指示による慶長国絵図とは確認できない慶長備前国絵図と共通するなど、江戸初期の国絵図にみられ、正保国絵図以降で一掃される形状である。
このほか様式の点で本図の特徴をあげれば、村のオブジェクト (真円) が郡別で彩色される一方、郡域のうち山陵を除く部分も郡別で彩色されている。色は赤穂郡など同系統の場合もあれば、飾東郡など反対色に近いものもある。 また郡界は白線で表現され、播磨国自体も同じ白線で囲まれている (海側を除く)。これらによって、本図は幕府指示による慶長国絵図とは異なる印象を見るものに与えている。
他方で、一里塚こそないものの街道には線幅による主・副 (本・脇) の区別かあって本図は先駆的である。城下の表現も景観描写ではなく、範囲を意識した形状の多角形で表現され、記号化されている。
画像の点では、出版物ながら『姫路市史』の別刷付録は十分な大きさを持ち、村名まで判読できる。また別に翻刻も附属する。なお前述のように本図には村高・郡高の記載はなく、余白部分 (畾紙) に目録もないので、石高に関係する情報を得ることはできない。
(3) 日本六十余州国々切絵図 播磨国
日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 播磨国』は文字どおりに播磨国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 播磨国』(#15739)として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 149cm × 南北 103cm である。
ほかに『播磨国[山陽道図]』 が京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 160cm × 南北 114cm である。なお播磨国は岡山大学 池田家文庫に『余州図』が現存しない国のひとつである。
(4) 正保播磨国絵図 (ライデン大学図書館所蔵)
『正保播磨国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち播磨国のものである。ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『播磨国絵図 (Harima no kuni ezu)』が現存・オンライン公開されており、これが『正保播磨国絵図』であると推定される。本図の大きさは東西 219cm × 南北 231.5cm である※1。

本図の郡高を一覧にまとめれば以下のとおりで、『正保播磨国郷帳』と整合する。一致しない郡は比較的多いが、誤写であるのは一目瞭然で、わかりやすいといえばわかりやすい。
| 郡 | 本図 | 正保播磨国郷帳※2 |
|---|---|---|
| 明石郡 | 48,387.540石 | 48,387.540石 |
| 「高四万八千三百八十七石五斗四升」 | 「高合四万八千三百八拾七石五斗四升」 | |
| 三木郡 | 37.687.060石 | 37,687.080石 |
| 「高三万七千六百八十七石六升」 | 「高合三万七千六百八拾七石八升」 | |
| 加東郡 | 46,680.686石 | 46,680.686石 |
| 「高四万六千六百八十石八斗二升六合」 | 「高合四万六千六百八拾石八斗弐升六合」 | |
| 加西郡 | 35,193.542石 | 35,493.542石 |
| 「高三万五千百九十三石五斗四升二合」 | 「高合三万五千四百九拾三石五斗四升弐合」 | |
| 加古郡 | 32,969.980石 | 32,969.980石 |
| 「高三万二千九百六十九石九斗八升」 | 「高合三万弐千九百六拾九石九斗八升」 | |
| 印南郡 | 34,230.235石 | 34,230.235石 |
| 「高三万四千二百卅石二斗三升五合」 | 「高合三万四千弐百三拾石弐斗三升五合」 | |
| 多可郡 | 33,578.135石 | 33,578.135石 |
| 「高三万三千五百七十八石一斗三升五合」 | 「高合三万三千五百七拾八石壱斗三升五合」 | |
| 神東郡 | 21,245.708石 | 21,245.078石 |
| 「高二万千二百四十五石.七斗八合」 | 「高合弐万千弐百四拾五石.七升八合」 | |
| 神西郡 | 17,525.740石 | 17,525.740石 |
| 「高一万七千五百廿五石七斗四升」 | 「高合壱万七千五百弐拾五石七斗四升」 | |
| 飾東郡※3 | 30,130.729石 | 30,120.729石 |
| 「高三万百三十石七斗二升九合」 | 「高合三万百弐拾石七斗弐升九合」 | |
| 飾西郡※3 | 31,080.202石 | 31,080.202石 |
| 「高三万千八十石二斗二合」 | 「高合三万千八拾石弐斗弐合」 | |
| 揖東郡 | 47,428.808石 | 47,428.088石 |
| 「高四万七千四百二十八石八斗八合」 | 「高合四万七千四百弐拾八石八升八合」 | |
| 揖西郡 | 28,871.778石 | 28,871.778石 |
| 「二万八千八百七十一石七斗七升八合」 | 「高合弐万八千八百七拾壱石七斗七升八合」 | |
| 赤穂郡 | 35,562.605石 | 35,562.605石 |
| 「三万五千□百六十二石六斗五合」 (□=五) | 「高合三万五千五百六拾弐石六斗六升五合」 | |
| 宍粟郡※4 | 378,83.620石 | 378,23.620石 |
| 「高三万七千八百八十三石六升二合」 | 「高合三万七千八百弐拾三石六升弐合」 | |
| 佐用郡 | 23,385.467石 | 23,385.467石 |
| 「高二万三千三百八十五石四斗六升七合」 | 「高合弐万三千三百八拾五石四斗六升七合」 |
本図は正保国絵図の様式に従っており、特に隣国色別の彩色がされ、各村のオブジェクトに支配別の「いろは記号」が記載されている点で確認できる。しかし郡内の見出しは短冊形の枠で囲まれる点で標準からは外れる。この枠は村のオブジェクトと同様に郡別の彩色が施され、またその中に郡名・郡高ばかりでなく村数まで記載されている。本図の余白部分 (畾紙) には目録が存在しないため、写本が作成される段階で郡の一覧が分解されたとも解釈できるが、あくまでも推測である。なお、その目録に含まれているはずの支配別の一覧とその凡例も本図にはないので、正保国絵図の仕様を知らなければ「いろは記号」の意味は理解できない。このほか、本図では村高と多くの場合に接尾辞が省かれ、朱線であらわされた街道の主・副 (本・脇) の太さによる区別も省略されている。
注釈
(5) 正保播磨国絵図 (中川忠英旧蔵)
国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には播磨国のもの含まれ、現存する (『播磨国1』(#714416))。オンラインでは公開されてない。
『福井b』によれば、本図の大きさは東西 370cm × 南北 396cm で※1、「様式は山城国に同じ
」といい、正保国絵図の様式に合致する。また、記載された国高は 542,130.127石 (都合高五拾四万弐千百参拾石壱斗弐升七合) で、これは『正保播磨国郷帳』※2の国高※3に一致することから、本図も『正保播磨国絵図』であると確認できる。
正保播磨国絵図の写本は複数の存在が確認され、『近世播磨の街道と一里塚整備―慶長・正保の「播磨国絵図」の再検討―』(ひょうご歴史研究室紀要 第10号 所収) で本図も含めて比較検討されている。同稿によれば、本図もライデン大学図書館所蔵と同様に支配別の一覧はなく、さらに村のオブジェクトでは村高のほか「いろは」記号も省略されている。
注釈
(6) 正保播磨国絵図 (松平乗命旧蔵)
国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) には播磨国のものが含まれ、現存する (#725062)。オンラインでは公開されていない。
この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『播磨国絵図』もオンラインでは公開されていないが、目録 (解題) は国立公文書館デジタルアーカイブよりもやや充実している。
本図も『正保播磨国絵図』と推定されている。(松平乗命旧蔵としての) 原本の大きさは、『近世播磨の街道と一里塚整備』によれば東西 355cm × 南北 390cm、写本は目録 (解題)によれば東西 312.5cm × 南北 360.6cm である※1。『福井b』によれば、原本には「図の一隅に郡高附と所領別の高寄せが掲げられている
」といい、『近世播磨の街道と一里塚整備』も「畾紙に限れば郡高・領主名の記載がそろっている
」とする。写本については、目録 (解題)によれば「国高・村高記入ナシ
」といい、総合すると余白部分 (畾紙) に目録が存在し、郡および支配別の一覧が記載されているが、総計となる国高は記載されていない。『福井b』も「惣国高は五十四万余石であり
」という表現に留めている。
このほか写本の目録 (解題)に「村間の里程記入ナシ、他国への通路・里程の記入アリ
」とある。また『近世播磨の街道と一里塚整備』に「『正保郷帳』の領主名と一致している
」とあり『正保播磨国郷帳』※2と整合している。
注釈
(7) 正保播磨国絵図 (京都府立京都学・歴彩館所蔵)
京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている播磨国絵図には、松平乗命旧蔵とは別に『播磨国絵図』が帯状に 4分割された状態で現存する (#1 #2
#3
#4)。オンラインでは公開されていない。
本図も『正保播磨国絵図』と推定されている。目録 (解題)によれば、本図の大きさはそれぞれ、78.2cm × 256.7cm、104.7cm × 337.0cm、104.5cm × 370.0cm、および 78.0cm × 218.0cm であり、全体では 365.4cm × 370.0cm のほぼ正方形となる。また「国高・郡高・村高記入アリ、知行割の記入アリ、他国への通路・里程の記入アリ
」とある。『近世播磨の街道と一里塚整備』によれば松平乗命旧蔵と同様に、「畾紙に限れば郡高・領主名の記載がそろっている
」「『正保郷帳』の領主名と一致している
」とされ、同稿の論調から考えると写本としての完成度はかなり高いとみられ、また掲載されている部分図でもそれを確認できる。
(8) 正保播磨国絵図 (明石市立文化博物館所蔵)
正保播磨国絵図の写本は複数の存在が確認され、ライデン大学図書館所蔵、中川忠英旧蔵、松平乗命旧蔵、および京都府立京都学・歴彩館所蔵のほかに明石市立文化博物館所蔵と新宮八幡神社旧蔵が知られている。
『近世播磨の街道と一里塚整備―慶長・正保の「播磨国絵図」の再検討―』によれば、本図は明石市立文化博物館が古書店から購入したもので、ライデン大学図書館所蔵は「この明石市本に酷似している
」とし「畾紙には、郡高や領主ごとの所領高の記載はない
」。本図は同館の企画展で展示されることがあるように見受けられるが、常設展示はされていないと思われる。当然ながらオンラインでは公開されていない。
(9) 正保播磨国絵図 (新宮八幡神社旧蔵)
新宮八幡神社旧蔵の『正保播磨国絵図』は、現在たつの市立埋蔵文化財センター所蔵※1に保管され、同市 Webサイトの文化財を紹介するページで外観 (600 ×424ピクセル) を確認できる※2。
解題によれば、本図の大きさは東西 239cm × 南北 176cm で、「もとの新宮藩主池田家が新宮町新宮にある新宮八幡神社に奉納した
」ものである。『近世播磨の街道と一里塚整備』は「そもそも小ぶりで、本来郡別に色分けすべき村が領主別に色分けされ、村高の記載もないなど、国絵図の描写基準からは大きく逸脱している
」と本図を評価している。
注釈
(10) 元禄播磨国絵図
『元禄播磨国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち播磨国のものである。元禄国絵図は国立公文書館に多く現存する。本図もその一部であり、『元禄国絵図播磨国』(#3146782)として現存・オンライン公開されている。

国立公文書館所蔵の元禄国絵図のうち、下総・常陸・日向・薩摩・大隅は正本、五畿 (大和・山城・河内・和泉・摂津) と近江・丹波・播磨は写本であり (本稿の対象ではない、五畿七道 68国以外を除く)、したがって本図は写本である。『元禄近江国絵図』と同様、背景となる自然描写は簡略化されているとみられ、『天保播磨国絵図』に比較して山陵と森林がかなり少ない。大きさは東西 374cm × 南北 310cm、目録の奥書相当の部分には元禄15年(1702) 2月の日付 (『元禄十五壬午年二月』) と本多中務太輔・松平左兵衛佐・脇坂淡路守 3名の名前がある。本来はここに浅野内匠頭 (長矩、赤穂藩) の名前もあるはずだったが、前年 3月に発生した赤穂事件によって浅野氏は改易となったため、この 3名となった。またこのためか完成時期は遅い部類に当たる※1。
注釈
(11) 天保播磨国絵図
『天保播磨国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち播磨国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保播磨国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図播磨国』(#763968) としてオンライン公開されている。ほかに縮図が存在する。ただし縮図については『福井a』では「下図」とある。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保播磨国絵図』は大きさが東西 415cm × 南北 373cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。
注釈
(12) 一覧
(13) 変更履歴
内容
:
- 『慶長播磨国絵図』『日本六十余州国々切絵図 播磨国』の記事を追加した。
- 『正保播磨国絵図』の記事をライデン大学図書館所蔵、中川忠英旧蔵、松平乗命旧蔵、京都府立京都学・歴彩館所蔵、明石市立文化博物館所蔵、および新宮八幡神社旧蔵に分割し、それぞれ追補した。
:
- 『元禄播磨国絵図』の記事を追加し、また外観を示した。
- 『正保播磨国絵図』『天保播磨国絵図』の記事を追加した。
:
- 導入文を追加し、概要を追補した。
:
- 『天保播磨国絵図』について外観を示した。
- 『正保播磨国絵図』(ライデン大学図書館所蔵) について記載を追加し、また外観を示した。
:
- 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
- 同様に一覧表の備考に記載されていた記事を外に出して、表現などわかりづらいところを適宜、見直した。
:
- 新規作成。