オンラインで参照できる佐渡国絵図 (佐渡国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。
↓一覧へ移動佐渡国 (佐州) は北陸道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保佐渡国絵図』は勘定所旧蔵 (#763942) が現存・オンライン公開されている。

『日本六十余州国々切絵図 (余州図)』は、秋田県公文書館に 68国のすべてが現存し、秋田県公文書館デジタルアーカイブで公開されている。『日本六十余州国々切絵図』の通称も同館のものによる。『余州図』についての一般論は『6. 寛永国絵図・日本六十余州国々切絵図』を参照。
秋田県公文書館デジタルアーカイブでは『日本六十余州国々切絵図 佐渡国』が公開され、東西 93cm × 南北 68cm、ほかに『佐渡国[北陸道図]』 が京都大学貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 106cm × 南北 78cm、『〔佐渡国絵図〕』(T1-60) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、東西 110.1cm × 南北 78.7cm である。
国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) には佐渡国のものが含まれ、現存する (#725238)。オンラインでは公開されていない。
この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『佐渡国絵図』もオンラインでは公開されていないが、目録は国立公文書館デジタルアーカイブよりも充実し、国郡高が記載されている。
これをまとめると以下のとおりである。
| 郡 | 松平乗命旧蔵※1 | 河村検地※2 | |
|---|---|---|---|
| 雑太郡 | 11,422.765石 | 11,422.765石 | ※3 |
| (937.809石) | (837.809石) | ※4 | |
| 加茂郡 | 8,500.742石 | 8,500.742石 | ※5 |
| (586.676石) | (586.676石) | ※6 | |
| 羽茂郡 | 2,999.062石 | 2,999.062石 | ※7 |
| (364.967石) | (364.967石) | ※8 | |
| 総計 | n/a | 22,922.569石 | ※9 |
| n/a | (1,889.452石) | ※10 | |
| 24,812.021石 | 24,812.021石 | ※11 | |
「河村検地」は『附註佐渡名勝志』(1939) に「上杉家賦税役河村彦左衛門一国取米左ニ記ス (上杉家賦稅役河村彥左衞門一國取米左ニ記ス)」「草高ニ非ズ取米也」としてあげられている国郡高で、その「註」によれば時期などには混乱があるようだが、いずれにしても江戸初期のものであるのは確かなようだ。また「草高ニ非ズ取米也」とあるとおり、年貢として納める部分であって全体の収量ではない。
なお「屋敷」(松平乗命旧蔵では『屋布』、後述の相川郷土博物館所蔵 では『地子』) は佐渡国のこの時期特有の賦課対象である。佐渡国では元禄年間(1688~1704) まで正式な検地が行われなかったという。
本図の大きさは (松平乗命旧蔵という意味での) 原本で 118cm × 93cm、写本で 117.0cm × 92.2cmで、国郡高から江戸初期か、江戸前期でも元和年間(1615~1624) から寛永年間(1624~1644) ごろまでさかのぼる国絵図と考えられる。詳細には様式や景観を見る必要があり、これ以上はわからない。
| ^ ※1: | 京都府立京都学・歴彩館の目録による。 |
| ^ ※2: | 後述。 |
| ^ ※3: | 「田方壹萬千四百貳拾貳石七斗六升五合」。 |
| ^ ※4: | 「屋敷九百三十七石八斗九合」。 |
| ^ ※5: | 「田方八千五百石七斗四升貳合」。 |
| ^ ※6: | 「屋敷五百八拾六石六斗七升六合」。 |
| ^ ※7: | 「田方弐千九百九十九石六升弐合」。 |
| ^ ※8: | 「屋鋪三百六拾四石九斗六升七合」。 |
| ^ ※9: | 「田方貳萬貳千九百貳拾貳石五斗六升九合」。 |
| ^ ※10: | 「屋敷千八百八拾九石四斗五升貳合」。 |
| ^ ※11: | 「合貳萬四千八百拾貳石貳升壹合」。 |

石高をまとめれば以下のとおりである。
| 郡 | ライデン大学図書館所蔵 | 中川忠英旧蔵 | ||
|---|---|---|---|---|
| 雑太郡 | 11,298.152石 | ※2 | 12,198.652石 | ※4 |
| (948.455石) | ※3 | (948.455石) | ※5 | |
| 加茂郡※6 | 8,475.605石 | ※7 | 8,475.605石 | ※9 |
| (567.915石) | ※8 | (567.915石) | ※10 | |
| 羽茂郡 | 3,007.082石 | ※11 | 3,007.082石 | ※13 |
| (352.84石) | ※12 | (352.84石) | ※14 | |
| 総計 | 22,780.839石 | ※15 | 22,781.339石 | ※18 |
| (1,869.210石) | ※16 | (1,869.210石) | ※19 | |
| 24,650.049石 | ※17 | 24,650.549石 | ※20 | |
上記によれば、本図の国郡高は松平乗命旧蔵 (=河村検地) と同じ形式であるものの、数値は全体と雑太郡・加茂郡でそれより小さく、羽茂郡の本体 (田方) だけ少し大きい。したがって国郡高だけでいえばより古い時期の景観を描いているといえるが、前述のように混乱が存在し、ほかに本図の国郡高と比較検討可能な情報は得られない。
『徳川初期の佐渡越後の二地図』※21では、元和9年(1623) 頃とし、推定とはいえ具体的な年まで特定している。「東照大権現」の存在から元和3年(1617) 以降として、『佐渡志』の元和7年(1621) の石高を踏まえたものとみられるが、年の特定自体は元和10年/寛永元年(1624) を念頭に元和年間の終わりあたりまでさかのぼれるとしているだけのようだ。
本図の様式についてまとめれば以下のようになる。
| 城下 | 奉行所が置かれた相川町は、街並みが具体的に、かつ大きく描写されている。またその周囲には異常に感じられるほど大量の鳥居が描かれている。「夷古城」付近の湊 (現在の両津港) なども街並みが描かれている。 | |
| 古城 | 「夷古城」「沢根古城」などがあり、方形・細枠・地色で中に名称が記載されている。 | |
| 村 | オブジェクトは不定形の楕円、郡別の彩色。村名はその中に記載、接尾辞あり・漢字表記。村高も郡高と同様の形式で中に記載されている。全体として『寛永備中国絵図』の形式に似る。 | |
| 宿駅 | 区別は見られない。 | |
| 郡 | 見出し | なし。 |
| 境界 (郡界) | なし。 | |
| 街道 | 朱線、道程記載なし、本道・脇道の区別なし。一里塚はあるが、標準機な黒丸 2つのほか 黒丸 1つで表現されている箇所が多数あり、何らかの区別がされている。 | |
| 航路 | なし。 | |
| 国界 (国境) | 国境 記載 | n/a。 |
| 隣国 色分け | n/a。 | |
| 方角記載 | あり。 | |
| 川幅記載 | あり。 | |
| 目録 | (前述)。 | |
| その他 | 海岸地形の説明が詳細で『若狭敦賀之絵図』に類似する。海には波形の模様があり、また山陵に描かれている樹林が独特な描写。名称が併記されない寺社が多く配置されている。北東・東南・南西の三辺に能登・越後・出羽 3国の陸地が描かれ、景観描写には主観が内在する。 | |
上記のように本図は一部、正保国絵図の仕様に従っているが、『寛永備中国絵図』や寛永国絵図と推定される『若狭敦賀之絵図』の様式に類似する。また海には波形の模様があり、能登・越後・出羽 3国の陸地は図の三辺に描かれるなど独自の景観と主観の内在が認められ、これは江戸初期の早い時期の国絵図の特徴といえる。
前述のとおり、本図は石高からその性質を特定することは難しい。また支配者、特定の事物などから断定することもできない。しかし元和3年(1617) 以降であることと、様式からいえば『寛永佐渡国絵図』の可能性が高い。
| ^ ※1: | 『小野寺』による。 |
| ^ ※2: | 「高壹萬千貳百九拾八石壹斗五舛貳合」。 |
| ^ ※3: | 「屋鋪九百四拾八石四斗五舛五合」。 |
| ^ ※4: | 「壹万貳千百九拾八石六斗五舛貳合」。 |
| ^ ※5: | 「屋敷九百四拾八石四斗五舛五合」。 |
| ^ ※6: | ライデン大学図書館所蔵では「賀茂郡」。 |
| ^ ※7: | 「高八千四百七拾五石六斗五合」。 |
| ^ ※8: | 「屋鋪五百六拾七石九斗一舛五合」。 |
| ^ ※9: | 「八千四百七拾五石六斗五合」。 |
| ^ ※10: | 「屋敷五百六拾七石九斗一舛五合」。 |
| ^ ※11: | 「高参千七石八舛二合」。 |
| ^ ※12: | 「屋鋪三百五十二石八斗四舛」。 |
| ^ ※13: | 「三千七石八舛貳合」。 |
| ^ ※14: | 「屋敷三百五拾貳石八斗四舛」。 |
| ^ ※15: | 「惣高二萬二千七百八十石八斗参舛九合」。 |
| ^ ※16: | 「惣屋鋪高千八百六拾九石二斗一舛」。 |
| ^ ※17: | 「都合貳萬四千六百五拾石四舛九合」。 |
| ^ ※18: | 「内貳万貳千七百八拾壹石三斗三舛九合」。 |
| ^ ※19: | 「屋敷千八百六拾九石貳斗壹舛」。 |
| ^ ※20: | 「都合髙貳万四千六百五拾石五計四舛九合」。 |
| ^ ※21: | 『越佐研究 第45集』(1988) 所収、cc.16-18。 |
国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には佐渡国のものが含まれ、現存・オンライン公開されている (#714356)。

中川忠英旧蔵の国絵図は多くの場合、複数に分割されているが、佐渡国の面積が小さいためか本図は 1枚のまま完全な状態を保っている
一見してわかるように、本図はライデン大学図書館所蔵と同系統の国絵図である。本図の場合、国郡高に誤りがあり、雑太郡はライデン大学図書館所蔵や、後述の相川郷土博物館所蔵 の数値が正しく、本来は「千貳」であるところを「貳千」と書き誤っている。これを書き改めれば、郡高の合計は国高に一致する。本図を写した人物によって「元之通合高不合」の付箋が貼られていることから、原本の誤りのようだ。
ただし、それでも雑太郡に0.5石 (5斗) の差異があって、そのまま国高の差異にもあらわれている。これについてはわからないが、誤差といってよい数値だろう。
本図はライデン大学図書館所蔵と比較すると簡略的で、村高の記載は省略され、背景となる自然描写も粗い。樹林のうち独特な形状のものは一般的な形状に近く、海も単色で塗られ、波形の模様はない。一方で本図には郡内に見出しがあり、細枠の短冊形・村と同じ郡別の彩色で目録と同じ内容が記載されている。また一里塚はすべて黒丸 2つで、すべてではないが街道が川を渡る部分で橋がない箇所に「歩渡」の記載があり、また相川町周辺の鳥居は具体的な形状かつ文字の付記がある。
これらの相違についていまのところ解はなく、さらに詳細な検討が必要といえる。
相川郷土博物館所蔵には『佐渡国絵図』(三浦厳寄贈) が現存し、『路 開館三十周年記念 特別展報告書』(1987)で外観を確認できる。翻刻された内容によれば、本図では「屋敷」を「地子」と表現した上で、雑太郡は 948.45石 (『地子 九百四拾八石四升五合』)、羽茂郡は 352.4石 (『地子 三百五拾弐石四升』)、ほかはライデン大学図書館所蔵・中川忠英旧蔵と一致することから同系統の国絵図とわかる。しかし島の形状・方角に異なる部分があるほか、村のオブジェクトは大きめで、郡内の見出しも異なって見える。解像度に限りがあってこれ以上はわからない。
新潟県立歴史博物館には『佐州全図』が現存し、オンライン公開されている。画像データとしては 1,293 × 1,200ピクセルで、jmapps.ne.jpドメインで御馴染の拡大する機能を備えたビューアが提供されている※1。当然ながら外観を確認できるだけである。
本図の解説では、能登・越後・出羽 3国の陸地が図の三辺に描かれているということだけから、中川忠英旧蔵・松平乗命旧蔵 (表記は『岩村藩旧蔵』) との類似性が推定されている。しかし見ればすぐにわかるように、佐渡国 (佐渡島) の形状・向きが異なり、本図では大佐渡山地 (北側の山塊) と小佐渡丘陵 (南側の山塊) のバランスが調整され、佐渡島の全体としては丸みを帯びた形状である。また沿岸の岩礁は拡大して描かれ、また追加されていることも、異なる印象を受ける要因になっている。
前述のように本図は解像度が不十分であり、詳細な検討は不可能だが、少なくとも本図では相川町などは記号化され、古城とともに方形・朱の彩色で表現されていることがわかる。家屋の描写が残って散在しているのは基本的に寺社だろう。また郡内には見出しがあり、枠はなく文字だけで表現され、これらは本図が正保国絵図に近いことを示唆している。しかしライデン大学図書館所蔵・中川忠英旧蔵には存在する一里塚は本図にはなく、村のオブジェクトもすべて同一色で郡ごとの彩色にはなっていない。なお郡界が引かれず、道程記載がない点は、本図と中川忠英旧蔵などとで変わらない。
以上のように、本図は中川忠英旧蔵などと同一系統の国絵図であることは、三辺の描写や東西南北の記載位置、沿岸の記載の分量・分布 (ほとんど判読できないが同じ内容が記載されているように見える) などから疑いない。一方で中川忠英旧蔵などよりも正保国絵図に近いようで遠く、両者の関係を特定することは難しい。本図について高解像度の画像が公開され、より詳細に検討可能になることを期待する。
なお、本図の解説に基づけば、松平乗命旧蔵 (解説では『岩村藩旧蔵』) も一連の国絵図と同様の景観を描いているようである。
| ^ ※1: | 文字どおりに拡大することができる。 |
冒頭で言及のとおり、『天保佐渡国絵図』は国立公文書館に勘定所旧蔵 (#763942) が現存・オンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保佐渡国絵図』は東西 179cm × 南北 309cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。
| ^ ※1: | 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。 |
| ^ ※2: | 『紅葉山文庫』(1980)。 |
両津郷土博物館※1に現存する『佐渡国絵図』 は、大きさはほぼ正方形の北東・南西辺 縦95cm × 北西・南東辺 96cmで、天和年間 (1681~1684) の成立と推測されている。
『路 開館三十周年記念 特別展報告書』(1987) によれば裏書に「天和元年 (1681) 辛酉之年」に相当する文字列と国郡高が記載され、(ライデン大学図書館所蔵・中川忠英旧蔵より大きい) 松平乗命旧蔵よりもさらに大きい。形状は中川忠英旧蔵などの系統にあり (『佐州全図』 の延長にはない)、街並みの描写もあるように見えるが、郡内に見出しがあって、将棋の駒形・彩色は村のオブジェクトと同じ郡ごとの色、おそらく村数が併記されている。三辺の陸地描写は省略されている。
新潟市立新津図書館には『佐渡全図』が現存し、越後佐渡デジタルライブラリー でオンライン公開されている。
上で取り上げた両津郷土博物館所蔵の『佐渡国絵図』を含め、江戸前期の佐渡国絵図は、長辺・短辺の比率が小さい長方形を図面とし、その各頂点に東西南北の文字を置いていた。それに対して『天保佐渡国絵図』は、長辺・短辺の比率の大きい長方形を図面とし、東西南北の文字を各辺中央に置く。本図は前者を脱して後者の形式に移行し、実際に近い形状で佐渡国 (佐渡島) を描いている。町場や寺社の形式も『天保佐渡国絵図』と同じである。
一方で、本図では岩礁が大きく描かれ、特に北端部ではその描写が形状に大きく影響し、『天保佐渡国絵図』とは異なった印象の景観になっている。このほか雑太郡の村数が 1村多く 101村とある。
大きさは南北 90cm × 東西 57cm、基本的には略図で村高・一里塚などは省略され、国郡高の記載もない。岩礁の描写およびそれによる変形は興味深いところで、全村の対照によって年代を特定できれば、新しい事実が見つかるかもしれない。注釈
^ ※1: 自治体 Webサイトに特有の数字を含む URLのため、変更される可能性がほかに比べて高いことに注意。
2026.04.05:
2026.04.02:
2026.02.18:
2026.02.11:
2026.01.31:
2026.01.02: