オンラインで参照できる若狭国絵図 (若狭国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。

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(1) 概要

国立公文書館所蔵の『天保若狭国絵図』は紅葉山文庫旧蔵 (#763937) が現存・オンライン公開されている。

Fig.841 天保若狭国絵図 (国立公文書館所蔵)
(2) 若狭敦賀之絵図

小浜市には『若狭敦賀之絵図』が現存し、デジタルアーカイブ福井でオンライン公開されている。

Fig.885 正保若狭国・敦賀郡絵図 (酒井家文庫『若狭敦賀之絵図』・小浜市所蔵・デジタルアーカイブ福井公開)

本図には、小浜藩の飛地を除く藩領を範囲として、若狭国の遠敷おにゅうおおかた 3郡のほか越前国 敦賀郡も含めて描かれている。本図の国郡高は、やはり越前国 敦賀郡および藩領としては飛地となる近江国 高島郡の一部を含む正保郷帳※1の国郡高と一致し、多くの部分でその様式に合致することから正保国絵図と考えられている。ただし正保国絵図であるのなら、越前国 敦賀郡を除いた最終的な『正保若狭国絵図』に対して、あくまでも福井藩として用意した下絵図 (下図)、またはそれを控図として残したものである。

本図正保郷帳寛文朱印留※2
遠敷郡42,461.4123石※342,461.4123石※442,461.4120石※5
大飯郡19,870.6666石※619,870.6666石※719,870.6660石※8
三方郡23,128.0100石※923,128.0100石※1023,128.0100石※11
若狭国 (総計)85,460.8089石※1285,460.8089石※1385,460.0000石※14
越前国 敦賀郡21,368.4310石※1521,368.4310石※1621,196.8410石※17

本図の若狭国の国郡高は寛文4年(1664) 4月5日付『酒井忠直宛領知判物・目録』※18の数値とも一致する。また越前国 敦賀郡の郡高は本図・正保郷帳と『領知判物・目録』とで異なるが、これは本図・正保郷帳の郡高が小浜藩 21,096.8410石 + 諸鶴太夫 100.0000石 + 寺社 171.5900石に対し、『領知判物・目録』が小浜藩 21,196.8410石※19のみであるためで、敦賀郡の郡高としてはやはり正保・寛文で変わりない。

前述のように、本図は多くの部分で正保国絵図の様式に合致するが、城や城下を具体的に、また周囲の縮尺を無視して拡大して描くのは正保国絵図としては異常で、しかも本図の場合それが極端である。また小浜城下に限らず、敦賀町・高浜村も同様で、さらにほかにも家屋を複数描写する箇所が多く存在する。敦賀町については、『正保越前国絵図』の敦賀郡と比較すればその差異は顕著である。この城や城下を具体的に拡大して描くのは寛永国絵図の特徴のひとつであり、国郡の「クニ」と国持大名の「クニ」の区別が徹底されていないという点でも、本図は正保国絵図ではなく『寛永若狭国・越前国 敦賀郡絵図』と考えたほうが自然ではないだろうか。

なお、小浜城下とともに拡大されている小浜湾は、取り囲む二つの半島とともに変形が著しい。しかしこれを含む海岸については、『天保若狭国絵図』でも形状が同じであり、修正はされてはいない。山側と異なり隣国との国界ではないため問題にならなかったためと考えられるが、寛永国絵図か正保国絵図かはともかく、本図が藩独自に作成したようなものではなく、徳川政権 (江戸幕府) の指示によって作成され、その後の国絵図にも反映されたことの証左となっている。

注釈
^ ※1: 正保3年(1646) 3月12日付、『若狭越前近江国郷帳』
^ ※2: 『酒井忠直宛領知判物・目録』、後述。
^ ※3: 『髙四萬貳千四百六拾壱石四斗壱升弐合三夕」。
^ ※4: 『髙合四萬貳千四百六拾壱石四斗壱升弐合三夕」。
^ ※5: 『高四万弐千四百六拾壱石四斗壱升弐合」。
^ ※6: 「髙壹萬九千八百七拾石六斗六升六合六□」(~夕)。
^ ※7: 「髙合壱万九千八百七拾石六斗六升六合六夕」。
^ ※8: 「高壱万九千八百七拾石六斗六升六合」。
^ ※9: 「髙貳萬三千百弐拾八石壱升」。
^ ※10: 「髙合貳万三千百弐拾八石壱升」。
^ ※11: 「高弐万三千百弐拾八石壱升」。
^ ※12: 「髙合八万五千四百六拾石八斗八合九夕」。
^ ※13: 「髙都合八万五千四百六拾石八斗八合九夕」。
^ ※14: 「八万五千四百六拾石余」。
^ ※15: 「髙弐万千三百六拾八石四斗三升壱合」。
^ ※16: 「都合髙貳萬千三百六拾八石四斗三舛壱合」。
^ ※17: 「高弐万千百九拾六石八斗四升壱合」。
^ ※18: 寛文4年(1664) 4月5日付、『寛文朱印留 上』(1980) 所収、c.62。
^ ※19: 本図・正保郷帳との差分は諸鶴太夫の 100石が含まれるため。諸鶴太夫は舞師で、承応元年(1652) 家系が途絶えてその 100石は小浜藩の預かりとなった (『敦賀の歴史』(1989)c.47)。寛文4年までに、またはこの『領知判物・目録』により正式に小浜藩領に組み込まれたようだ。
(3) 中川忠英旧蔵

国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には若狭国のものが含まれ、現存・オンライン公開されている (#714241)。

Fig.842 正保若狭国絵図 (国立公文書館所蔵)

本図は一見して小浜市所蔵の『若狭敦賀之絵図』と同じものとわかる国絵図であり、郡の一覧に記載された国郡高※1も一致する。したがって本図も正保国絵図であるのなら、『正保若狭国絵図』に対して、あくまでも福井藩として用意した下絵図 (下図)、またはそれを控図として残したものであり、景観からいえば『寛永若狭国・越前国 敦賀郡絵図』である。

『若狭敦賀之絵図』と比較すると、本図では村を示すオブジェクトには村名だけが記載され、村高は省略されている。また背景の自然描写は簡略化され、淡泊な印象が強い。しかし城下に着目すれば、本図の石垣の描写が緻密で、また街並や寺社も着色され、小浜市所蔵の家並が下書きであるかのような印象さえ受ける。また、前項でも触れたように、本図では、正保国絵図以降の特徴である隣国色分けが明確に存在する。

本図は小浜市所蔵の損傷による欠損部分を補うという点で重要だが、より詳細に比較すれば、それ以外にも補完する情報は含まれているのではないだろうか。

注釈
^ ※1: 国高は郡高の合計が一致するという意味で、本図自体には国高の明示的な記載はない。
(4) 若狭国図・御領分之図

『小浜市史 絵図地図編』(1993) には若狭国絵図が複数収録されている。そのうち江戸前期の国絵図には、前項までに紹介した『若狭敦賀之絵図』のほか、『延宝以前若狭国図』と『貞享二年以前若狭越前御領分之図』がある。

『延宝以前若狭国図』は、延宝2~4年(1674~1676) か、それより前と推定されている国絵図で、蓬左文庫に 1点、南葵文庫に 2点が現存する。蓬左文庫はそもそもデジタルコレクション等で史料をオンライン公開していない。南葵文庫 (ほかのコレクションを含む横断検索は東京大学附属図書館のコレクション ポータル) は、まだデジタル化の点数が少なく、公開されているものに国絵図は含まれない。『小浜市史』によれば、より原本に近いと考えられるのは南葵文庫所蔵のうちの 1枚で、これは蓬左文庫所蔵は幅・高さとも 2/3しかないことからもいえるが、同史に別刷図として収録されているのは蓬左文庫所蔵のものである。「複製した際の判読の可否を考慮して」との理由だが、別刷図であればその用紙のサイズを大きくすればよいだけであり、分割撮影・合成ができないといった技術的な問題か、あるいは単に予算の問題だろう。

『貞享二年以前若狭越前御領分之図』は、貞享2年(1685) 以前と推定されている国絵図で、個人所蔵、小浜市立図書館 酒井家文庫所蔵、京都大学文学部博物館所蔵、若狭歴史民俗資料館寄託、および松平乗命旧蔵の 5枚が現存する※1。これらのうち『小浜市史』に別刷図として収録されているのは最初の個人所蔵のものである。

小浜市立図書館 酒井家文庫所蔵のものは『御領分之図』としてデジタルアーカイブ福井でオンライン公開されている。松平乗命旧蔵は、国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) には含まれる『若狭国図』だが、松平乗命旧蔵のほかの国絵図と同様、オンラインでは公開されていない。京都大学文学部博物館所蔵・若狭歴史民俗資料館寄託については、現況を含めて情報を得られない。

注釈
^ ※1: 『小浜市史 絵図地図編』(1993) ではこの系統をもとにしたと考えられる刊本 (出版物) も扱っているが、本稿では対象範囲外のため数えない。
(5) 一覧

『凡例』

種別参照可否確定名称等所蔵・公開備考
確定根拠
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#15725秋田県公文書館 デジタルアーカイブ
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者T1-64岡山大学 絵図公開データベースシステム
寛永当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者若狭敦賀之絵図デジタルアーカイブ福井 (小浜市所蔵)参照
寛永当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者中川忠英旧蔵国立公文書館 デジタルアーカイブ参照
その他当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。掲載延宝以前若狭国図『小浜市史 絵図地図編』(1993) 掲載 (名古屋市蓬左文庫所蔵)参照
その他当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。掲載貞享二年以前若狭越前御領分之図『小浜市史 絵図地図編』(1993) 掲載 (名古屋市蓬左文庫所蔵)参照
天保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#763937国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (紅葉山)
(6) 変更履歴

2026.03.08:

2026.02.23:

2026.02.18:

2026.02.04:

2026.01.31:

2026.01.02: