オンラインで参照できる伊豆国絵図 (伊豆国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。

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(1) 概要

伊豆国 (豆州) は東海道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保伊豆国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764291) がオンライン公開されている。

Fig.887 天保伊豆国絵図 (国立公文書館所蔵)
(2) 寛永伊豆国絵図

東京大学史料編纂所所蔵の『伊豆国絵図』は、「寬永七年改八月寫之」「三島宿中程 大和屋善藏」とあり、『寛永伊豆国絵図』である。

Fig.760 寛永伊豆国絵図 (『伊豆国絵図』・東京大学史料編纂所所蔵)

村高は記載されているが国郡高は示されていない。半島部分は次の中川忠英旧蔵と酷似し、沿岸の浜や湊についての大量の注記はほとんどが同文と思われる。このため中川忠英旧蔵が寛永国絵図にまでさかのぼらないのであれば、詳細な本図の記述がそのまま正保国絵図に引き継がれたといえる。記載位置と改行は異なる箇所があって、道程の交通情報は本図にはない。また伊豆諸島の描写はかなり異なり、中川忠英旧蔵にある航路の記載も本図にはない。しかし本図の各島には家数など付加情報が記載されているほか、八丈島まで含められ、三宅島と八丈島の間には潮流と岩礁または海嶺のような地形がある。島々の配置はどっちもどっちの印象があるが、八丈島まで描いていることも含めて本図のほうが強引である。

本図の様式についてまとめると以下のようになる。

城下なし。幕府直轄領のため。
古城「山中古城」だけか。『正保伊豆国絵図』にある「韮山古城」は本図にはない。
オブジェクトは小判形、すべて彩色薄黄。村名はその中に記載、接尾辞あり・漢字表記、村高記載。
宿駅短冊形で区別される (枠の太さは村と変わらない)。彩色なし (地色)。「三島町 (三嶋町)」と「豆州相州境」より東にある「箱根町」。
見出し枠なし、郡名だけ。
境界 (郡界)褐色線、街道の朱線より太い。
街道朱線、本道は太線・一里塚あり、脇道は細線・一里塚なし。道程記載はあるが少ない。
航路なし。ただし「下田ヨリ八丈嶋江百里」など距離の記載はある。
国界 (国境)国境 記載山側は「此境ゟ相模國稲村近所迄道法壱里九丁五拾七間」・「三嶋𛃫𛃶千貫樋ゟ駿河國伏見新宿壱里塚」※1・「豆州相州境」、海側は「駿河領沼津町ヘ舟路三里※申傳候」(※=ト)※2
隣国 色分けなし。
方角記載あり。
川幅記載あり、ただし小河川が多く、狩野川の 1箇所に限られると思われる。
目録なし。
その他沿岸に浜・湊についての注記が多い。
注釈
^ ※1: 『正保伊豆国絵図』(中川忠英旧蔵) では「三嶋町𛃫𛃶千貫樋ヨリ駿河國伏見新宿壹里山迄六町五拾貳間」、『天保伊豆国絵図』では「三嶋町よ𛃶駿河國伏見村壹里塚迄拾七町余」。本図の字体は「𛂦𛃶」(はり) のほうが近いが、正保・天保を考慮して重複を問題にしなければ意味が通るのは「𛃫𛃶」(より)。
^ ※2: 折り目で判読できない。『正保伊豆国絵図』(中川忠英旧蔵) では「駿河領沼津村迄舟路三里ト申傳エ候」。
(3) 中川忠英旧蔵

国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には伊豆国のものが現存・オンライン公開されている (#714235)。

Fig.886 正保伊豆国絵図 (中川忠英旧蔵・国立公文書館所蔵)

本図に記載されている国高は 79,653.28石で、『増訂豆州志稿』※1に「正保年中ノ調査 (同年度調整ニ係ル伊豆國繪圖所載ナリ其他年號不詳國圖アリ各大同小異トス)」とある国高 79,653.188石と整合することから『正保伊豆国絵図』といえる。

なお、江戸後期の『せきのふること』※2に記載の国高も 79,653.188石で、いつの時点のものか明記はないものの、内訳 4郡の石高 (郡高) も一致するので正保郷帳のものであるとわかり、おそらくこちらのほうが『増訂豆州志稿』より正確である。

本図増訂豆州志稿せきのふること
君沢郡21,538.462石※321,538.464※421,538.462石※5
田方郡※624,890.154石※724,890.154石※824,890.154石※9
賀茂郡※1029,151.342石※1129,151.342石※1229,151.342石※13
那賀郡4,073.250石※144,073.210石※154,073.250石※16
総計79,653.208石※1779,653.168石※1879,653.208石※19
注釈
^ ※1: 『増訂豆州志稿・伊豆七島志』(1967) 所収、cc.13-293
^ ※2: 『浦賀奉行所関係史料 第3集』(1970) 所収、cc.108-116。
^ ※3: 「髙貳萬千五百三拾八石四䚵六舛貳合」。
^ ※4: 「弐萬千五百三十八石四斗六升四合」。
^ ※5: 「弐万千五百三拾八石四斗六升弐合」。
^ ※6: 『せきのふること』では「田辺郡」。明らかに誤記だが、原文によるか翻刻によるかは不明。
^ ※7: 「髙貳萬四千八百九拾石壹䚵五舛四合」。
^ ※8: 「弐萬四千八百九十石一斗五升四合」。
^ ※9: 「弐万四千八百九拾石壱斗五升四合」。
^ ※10: 『せきのふること』では「加茂郡」。
^ ※11: 「髙貳萬九千百五拾壹石三䚵四舛貳合」。
^ ※12: 「二萬九千百五十一石三斗四升二合」。
^ ※13: 「弐万九千百五拾壱石三斗四升弐合」。
^ ※14: 「髙四千七拾三石貳䚵五舛」。
^ ※15: 「四千七十三石二斗一升」。
^ ※16: 「四千七拾三石弐斗五升」。
^ ※17: 手動計算による。記載されている国高は79,653.280石 (『都合髙七萬九千六百五拾三石貳䚵八合』)。
^ ※18: 手動計算による。記載されている国高は79,653.188石 (『高七萬九千六百五拾三石壹斗八升八合』)。
^ ※19: 手動計算による。記載されている国高は79,653.280石 (『惣高七万九千六百五拾三石弐斗八升』)。
(4) 天保伊豆国絵図

冒頭で言及のとおり、『天保伊豆国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764291) がオンライン公開されている。

紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2

『天保伊豆国絵図』は東西 414cm × 南北 457cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。

注釈
^ ※1: 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。
^ ※2: 『紅葉山文庫』(1980)
(5) 一覧

『凡例』

種別参照可否確定名称等所蔵・公開備考
確定根拠
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#15715秋田県公文書館 デジタルアーカイブ
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者T1-51岡山大学 絵図公開 データベースシステム
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者伊豆国[東海道図]京都大学貴重資料 デジタルアーカイブ
寛永当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者伊豆国絵図東京大学史料編纂所[写]参照
正保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者中川忠英旧蔵 (#714235)国立公文書館 デジタルアーカイブ参照
正保当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。福井松平乗命旧蔵 (#725268)国立公文書館 デジタルアーカイブ
天保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#764291国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (紅葉山)参照
天保当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。所蔵#764170国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (勘定所)参照
(6) 更新履歴

2026.03.08:

2026.02.18:

2026.02.11:

2026.01.31:

2026.01.02: