ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、伊豆国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。
(1) 概要
伊豆国 (豆州) は五畿七道のうち東海道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保伊豆国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図伊豆国』(#764291) としてオンライン公開されている。

(2) 日本六十余州国々切絵図 伊豆国
日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 伊豆国』は文字どおりに伊豆国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 伊豆国』(#15715)として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 81cm × 南北 110cm である。
ほかに『伊豆国[東海道図]』 が京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 77cm × 南北 105cm、『〔伊豆国絵図〕』(T1-51) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 109.7cm × 南北 78.7cm である。
(3) 寛永伊豆国絵図
『寛永伊豆国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図のうち伊豆国のものである。東京大学史料編纂所には『伊豆国絵図』が現存し、これが『寛永伊豆国絵図』であると推定される。

本図の余白部分 (畾紙) には「寬永七年改八月寫之」「三島宿中程 大和屋善藏」と記載されている。しかし目録といえる部分はなく、郡内の見出しにも郡高は併記されていないため、本図の国郡高を直接的に得ることはできない。村高は記載されているので集計は可能である。
様式に着目すると、本図の半島部分は『正保伊豆国絵図』と酷似し、沿岸の浜や湊についての大量の注記はほとんどが同文と思われ、おそらくほとんどそのまま継承されている。記載位置と改行は異なる箇所があって、また道程情報は本図には記載されていない。
伊豆諸島の描写は双方でかなり異なり、『正保伊豆国絵図』にある航路は本図には記載されていない。しかし本図では、各島に家数など付加情報が記載されているほか、『正保伊豆国絵図』には含められていない八丈島まで含められ、三宅島とその八丈島の間には、潮流と岩礁または海嶺のような地形が描かれている。島々の配置はどっちもどっちの印象があるが、八丈島まで描いていることも含めて本図のほうが強引な印象がある。
本図の様式についてまとめると以下のようになる。
| 城下 | なし。幕府直轄領のため。 | |
| 古城 | 「山中古城」だけか。『正保伊豆国絵図』にある「韮山古城」は本図にはない。 | |
| 村 | オブジェクトは小判形、すべて彩色薄黄。村名はその中に記載、接尾辞あり・漢字表記、村高記載。 | |
| 宿駅 | 短冊形で区別される (枠の太さは村と変わらない)。彩色なし (地色)。「三島町 (三嶋町)」と「豆州相州境」より東にある「箱根町」。 | |
| 郡 | 見出し | 枠なし、郡名だけ。 |
| 境界 (郡界) | 褐色線、街道の朱線より太い。 | |
| 街道 | 朱線、本道は太線・一里塚あり、脇道は細線・一里塚なし。道程記載はあるが少ない。 | |
| 航路 | なし。ただし「下田ヨリ八丈嶋江百里」など距離の記載はある。 | |
| 国界 (国境) | 国境 記載 | 山側は「此境ゟ相模國稲村近所迄道法壱里九丁五拾七間」・「三嶋𛃫𛃶千貫樋ゟ駿河國伏見新宿壱里塚」※1・「豆州相州境」、海側は「駿河領沼津町ヘ舟路三里※申傳候」(※=ト)※2。 |
| 隣国 色別 | なし。 | |
| 方角記載 | あり。 | |
| 川幅記載 | あり、ただし小河川が多く、狩野川の 1箇所に限られると思われる。 | |
| 目録 | なし。 | |
| その他 | 沿岸に浜・湊についての注記が多い。 | |
注釈
(4) 正保伊豆国絵図
『正保伊豆国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち伊豆国のものである。国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には伊豆国のものが現存・オンライン公開されている (#714235)。これが『正保伊豆国絵図』であると推定される。

本図の余白部分 (畾紙) の目録に記載された国郡高は、江戸後期の『せきのふること』※2に記載された国郡高に一致する。この国郡高は、いつの時点なのかは明示がなくわからないが、『増訂豆州志稿』※1に「正保年中ノ調査 (同年度調整ニ係ル伊豆國繪圖所載ナリ其他年號不詳國圖アリ各大同小異トス)
」として示された国郡高と整合することから正保国絵図作成時期のものとわかる。『せきのふること』は「大同小異」の本図の系統を参照し、『増訂豆州志稿』は別の正保国絵図を参照しているのだろう。
注釈
(5) 松平乗命旧蔵
国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) には伊豆国のものが含まれ、現存する (#725268)。オンラインでは公開されていない。
この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『伊豆国絵図』もオンラインでは公開されていないが、目録は国立公文書館デジタルアーカイブよりも充実し、国郡高が記載されている。
それによれば国郡高はすべて中川忠英旧蔵に一致する。様式の詳細はわからないが、『福井b』によれば「所領別の内わけを連記し、伊奈、江川両代官所、今村、井出両知行所、三島・伊豆・箱根・修善寺の寺社領に分けて明示してある
」とあるので本図も『正保伊豆国絵図』と考えてよいだろう。
(松平乗命旧蔵としての) 原本の大きさは 『福井b』によれば東西 118cm × 南北 155cm で※1、写本の大きさは東西 122.1cm × 南北 161.2cm である※1。
注釈
(6) 天保伊豆国絵図
『天保伊豆国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち伊豆国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保伊豆国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図伊豆国』(#764291) としてオンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保伊豆国絵図』は大きさが東西 414cm × 南北 457cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。
注釈
(7) 一覧
(8) 更新履歴
内容
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- 『日本六十余州国々切絵図 伊豆国』の記事を追加した。
- 『寛永伊豆国絵図』の記事について説明を整理した。
- 中川忠英旧蔵の記事について、表題を「正保伊豆国絵図」に変更し、説明を整理した。
- 松平乗命旧蔵(写) を一覧に追加し、松平乗命旧蔵の原本 (国立公文書館) とともに記事にまとめた。
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- 『寛永伊豆国絵図』の記事について様式を中心に追補した。
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- 導入文を追加し、概要を追補した。
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- 『天保伊豆国絵図』『正保伊豆国絵図』について外観を示した。そのほか「てにをは」等、文章・表現を適宜見直した。
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- 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
- 同様に一覧表の備考に記載されていた記事を外に出して、表現などわかりづらいところを適宜、見直した。
- 『寛永伊豆国絵図』について外観を示した。
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- 新規作成。