オンラインで参照できる丹後国絵図 (丹後国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。

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(1) 概要

丹後国は山陰道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保丹後国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#763944) がオンライン公開されている。

Fig.869 天保丹後国絵図 (国立公文書館所蔵)
(3) ライデン大学図書館所蔵

ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『丹後国絵図 (Tango no kuni ezu)』が現存・オンライン公開されている。

Fig.850 丹後国絵図 (ライデン大学図書館 Universitaire Bibliotheken Leidens 所蔵)

本図は、方角を含む全体的な形状の不正確さ・歪みと、各『余州図』と共通する変体仮名を含む漢字仮名交じり・接尾辞省略の村名表記といった様式、および次の中川忠英旧蔵の存在から、少なくとも正保国絵図よりも古い国絵図と考えられる。正保国絵図のひとつ前の国絵図といえば寛永国絵図である。

しかし本図は、寛永国絵図と推定されるほかの国絵図とも異なり、真円かそれに近い形状の村のオブジェクトは、元和年間(1615~1624) までに作成されたと推定されている『下総之国図』と特徴がよく似ていて、『慶長備前国絵図』にも通じるものがある。

江戸前期において、丹後国の石高 (国高) は慶長7年(1602) の検地以来、いわゆる寛文印知の寛文4年(1664) でも変化がなく、支配関係も元和8年(1622) に宮津・田辺・峰山の 3藩に分けられて以降、流動に乏しい。このため判断に必要な情報はきわめて少ない。一方で本図の国高は 123,170.20石 (『高合拾貳万三千百七拾石弐斗』であり、その慶長~寛文で変わらない 123,175.00石と一致せず、寛文元年(1661) の数値とされる『国々高寄』の丹後国 123,170石 (『拾弐万三千百七拾石』、斗以下は省略されている) に整合する。

また『天保丹後国絵図』では中郡 口大野村付近に相当する場所の「中大野」(中大野村、本図では接尾辞が省略されている) は与佐・中両郡の色半々で塗られており、中間的な位置づけとされている。このためか本図の与佐郡の郡高はほかより小さい数値となっている (反対に中郡は大きな数値となるはずだが、本図では漏れているためわからない)。

これらからも本図は『寛永丹波国絵図』でもなく、それより前に全国的ではない何らかの目的で作成されたもので、慶長年間(1596~1615) 後半から元和年間(1615~1624) にかけてのいずれかの時期の、郡の再編過程をあらわしているのではないだろうか。

なお本図では「たけ郡」が「片野郡」と表記されている。「竹野」の本来の読みは「たかの」であり、このわかりにくさに「竹」と「片」の崩した字体の類似から「かた」と誤ったものとみられる。

(2) 中川忠英旧蔵

国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には丹後国のものが 2分割された形式で含まれ、すべて現存・オンライン公開されている (#714354 ・ #714357)。

Fig.851 丹後国絵図 (中川忠英旧蔵・国立公文書館所蔵)

国絵図は一般に巨大で扱いづらく、また保管には複数回折りたたまなければならず、折り目から傷みやすい。このためほかの中川忠英旧蔵の国絵図と共通して分割されている。郡界による分割はその最適解とはいえないが、村を示す小判型を含むオブジェクトやそのほかの文字情報の分割を避ける意味で折衷案といえ、またひとつの郡について複数の分割図を参照する必要はないので、実際の運用を考慮すると最適解だったのだろう。基本的に保存状態は良好な中川忠英旧蔵の国絵図群にあって、本図については、東過半を占める右側の分割はシミ汚れが目立つ。

本図については様式・石高から少なくとも『元禄丹後国絵図』ではなく、それより前の国絵図であることは確かで、ライデン大学図書館所蔵との比較から『正保丹波国絵図』といえる。しかし、やはり断定するための決定的な材料はない。

(3) 京都府立京都学・歴彩館所蔵

京都府立京都学・歴彩館所蔵の『丹後国絵図』は、中川忠英旧蔵と内容が共通する国絵図であり、『正保丹波国絵図』と推定される。

Fig.853 丹後国絵図 (京都府立京都学・歴彩館所蔵)

解像度が限られるため判読可能な範囲となるが、国境記載と街道沿いの道程記載、沿岸の地形 (島・岩礁・岬) とその名称は整合し、山陵の描き方も同一である。一方、本図では村のオブジェクト (小判型) に村高の記載があって、また「いろは」記号による支配区分も示されている。ただし中川忠英旧蔵には郡内に郡名・郡高が標準的な記法で記載されているが、本図では郡名だけが短冊形の中に記載され、郡の一覧もなく、したがって郡高の記載はない。また隣国の区別も中川忠英旧蔵では色分けされているが、本図では省略され、線が引かれているだけである。

国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) には丹後国のものは含まれないが、全体的な印象から仮に存在すれば本図と同様のものだったかと想像される。

項目ライデン大学図書館中川忠英旧蔵京都府立京都学 ・ 歴彩館寛文朱印留※1
国高123,170.20石※2123,175.00石※3123,175.00石※4123,200.00石※5
郡高 (与佐郡)31,457.26※631,462.45※7(記載無し)31,462.45※8
郡高 (竹野郡)※919,565.76石※1019,565.36石※11(記載無し)19,565.36石※12
郡高 (熊野郡)15,546.34※1315,546.36※14(記載無し)15,546.36※15
郡高 (加佐郡)37,383.07石※1637,383.07石※17(記載無し)37,383.07石※18
郡高 (中郡)※19(記載無し)※2019,217.77石※21(記載無し)19,217.77石※22
注釈
^ ※1: 寛文4年(1664) 4月5日付『京極高国宛領知判物・目録』、『寛文朱印留 上』(1980) 所収、c.41。
^ ※2: 「高合拾貳万三千百七拾石弐斗」。
^ ※3: 「高都合拾貳萬三千百七拾五石」。
^ ※4: 「高都合拾貳万三千百七拾五石」。
^ ※5: 「拾弐万三千弐百石」、判物部分の記載のため数値は丸められている。
^ ※6: 「三万千四百五拾七石弐計六舛」。
^ ※7: 「髙三萬千四百六拾貳石四斗五舛」
^ ※8: 「高三万千四百六拾弐石四斗五升」。
^ ※9: 『京極高国宛領知判物・目録』では「片野郡」。
^ ※10: 「壹万九千五百六拾五石七斗六舛」。
^ ※11: 「髙壹万九千五百六拾五石三斗六舛」
^ ※12: 「高壱万九千五百六拾五石三斗六舛」。
^ ※13: 「壹万五千五百四拾六石三斗四舛」。
^ ※14: 「髙壹万五千五百四拾六石三計六舛」
^ ※15: 「高壱万五千五百四拾六石三斗六升」。
^ ※16: 「三万七千三百八拾三石七舛」。
^ ※17: 「高三万七千三百八拾三石七舛」
^ ※18: 「高弐千三百八拾三石七升」(宮津)・「高三万五千石」(田辺)。
^ ※19: 『京極高国宛領知判物・目録』では「丹波郡」。
^ ※20: 記載漏れと思われる。
^ ※21: 「高壹万九千貳百拾七石七斗七舛」。
^ ※22: 「高九千弐百拾七石七斗七升」(宮津)・「高壱万石」(峯山)。
(4) 一覧

『凡例』

種別参照可否確定名称等所蔵・公開備考
確定根拠
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#15737秋田県公文書館 デジタルアーカイブ
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者T1-57岡山大学 絵図公開 データベースシステム
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者丹後国[山陰道図]京都大学貴重資料 デジタルアーカイブ
寛永当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者Tango no kuni ezu (丹後国絵図) Ser. 277Universitaire Bibliotheken Leidens (ライデン大学図書館) 所蔵参照
正保当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵中川忠英旧蔵
(#714354 ・ #714357)
国立公文書館 デジタルアーカイブ参照
正保当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、比較資料等を前提とすれば村名の文字を推定可能な中解像度の画像がオンライン公開されている。筆者丹後国絵図歴史資料アーカイブ (京都府立京都学・歴彩館所蔵)参照
天保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#763944国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (紅葉山)
天保当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。所蔵#764162国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (勘定所)
(5) 更新履歴

2026.02.18:

2026.02.11:

2026.02.04:

2026.01.31:

2026.01.02: