ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、備中国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。
(1) 概要
備中国は五畿七道のうち山陽道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保備中国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図備中国』(#764059) としてオンライン公開されている。

(2) 寛永備中国絵図 (岡山大学 池田家文庫所蔵)
『寛永備中国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図のうち備中国のものである。岡山大学 池田家文庫にはこの『寛永備中国絵図』が現存し、『備中国絵図』(T1-30) として絵図公開データベースシステムでオンライン公開されている。 岡山大学池田家文庫 所蔵)

本図の大きさは東西 190.0cm × 南北 189.2cm で※1、寛永15年(1638) ごろの作成と推定されている。『寛永備前国絵図』と様式は同一で色彩の鮮やかさが目を引く。記載されている国高は 233,513.13石 (『高都合弐拾三万三千五百拾三石壱斗三舛』) で、内訳は知行別だけであり、本図に郡高は明示されていない。ただし村高の記載はあるので集計は可能である。
様式については、『寛永備前国絵図』(ライデン大学図書館所蔵)を参照のこと。
注釈
(3) 寛永備中国絵図 (ライデン大学図書館所蔵)
ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『備中国絵図 (Bitchū no kuni ezu)』が現存・オンライン公開されている。

一見しただけでもわかるように、本図は、備中国絵図 (T1-30、岡山大学 池田家文庫所蔵)と同一系統の『寛永備中国絵図』であり、余白部分 (畾紙) の目録奥書には「延宝七年戌未五月中旬写之」と記載され、延宝7年(1679) に写されたもの (またはその系統) とわかる。国高は 233,513.1石 (『高合貳拾三万三千五百拾三石一斗』) であり、「三舛」(3升) 記載有無を除いて『備中国絵図』(T1-30) と一致する。大きさも東西 189cm × 南北 207cm※1であり、同等である。
本図の興味深い景観として、高梁川河口デルタ付近沿岸の島々があげられる。島々は西から順に、柏島・乚島 (乙島)・連島と並んでいる。『備中国絵図』(T1-30) では、この 3島は文字どおりに島として描かれているが、本図では、もっとも東にある連島は陸続きになっている。おそらく本図の原本には、その作成された (写された) 時期の景観が反映されているためと思われ、興味深い。
様式については、『寛永備前国絵図』(ライデン大学図書館所蔵)を参照のこと。
注釈
(4) 寛永備中国絵図 (広島県立歴史博物館所蔵)
広島県立歴史博物館には『備中国絵図』が現存し、解説には「本図の図形は寛永15年の国絵図の系統と見られる
」「延宝7年との年記がある
」とあり、ライデン大学図書館所蔵と原本を同じくする写本である。
本図は画像データとしては全体のもので 1,153 × 1,200ピクセル、2分割されたやや大きいものでこの 4/3倍ほどである。文字の判読はかなり限られるが、連島の描写は確かにライデン大学図書館所蔵と同じで、ほか各種付記の配置も類似するように見える。原本の大きさは東西 193.8cm × 南北 201.6cm である※1。
注釈
(5) 日本六十余州国々切絵図 備中国
日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 備中国』は文字どおりに備中国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 備中国』(#15748)として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 144cm × 南北 101cm である。
ほかに『備中国[山陽道図]』 が京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 160cm × 南北 116cm、『〔備中国絵図〕』(T1-80) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 164.1cm × 南北 117.2cm である。
(6) 正保備中国絵図 (岡山大学 池田家文庫所蔵)
『正保備中国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち備中国のものである。岡山大学 池田家文庫にはこの『正保備中国絵図』が現存し、『備中国絵図』(T1-32) として絵図公開データベースシステムでオンライン公開されている。

本図の大きさは東西 260cm × 南北 356.0cmで、余白部分 (畾紙) にある目録には国高として 236,691.825石 (『高都合貳拾三万六千六百九拾壱石八斗弐升五合』) とある。その内訳は、目録には「いろは」記号とともに支配別だけが記載され、郡高は郡内見出しの郡名に併記されている。
本図の高梁川河口デルタ付近の景観は濃淡で表現されているため判断がやや難しいが、乚島 (乙島)・連島は陸続き、柏島も遠浅の海によってほとんど陸続きになっている。このうち連島については石垣のような構造物が構築され、さらに沖にある亀島まで干拓されている。
(7) 正保備中国絵図 (中川忠英旧蔵)
国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には備中国のものが含まれ、現存する (#714173)。オンラインでは公開されていない。『福井b』によれば、大きさは東西 228cm × 南北 363cm※1で、本図に記載されている国高は 236,691.825石 (高都合弐拾参万六千六百九拾壱石八斗弐升五合) である。この国高は『備中国絵図』(T1-32、岡山大学 池田家文庫所蔵) に一致することから『正保備中国絵図』と確認できる。
注釈
(8) 正保備中国絵図 (松平乗命旧蔵)
国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) にも備中国のものが含まれ、現存する (#725143)。やはりオンラインでは公開されていない。
この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『備中国絵図』もオンラインでは公開されていないが、本図の大きさは東西 215.5cm × 南北 353.5cm※1である。
国立公文書館所蔵の原本は大きさについて情報を得られないが、基本的に京都府立京都学・歴彩館の写本はそのままの大きさで写しているので、同程度の大きさと考えることができる。また『福井b』によれば「いろは」記号による支配関係が記載されているといい、また国高は 236,691.825石 (高都合弐拾参万六千六百九拾壱石八斗弐升五合) であることから、本図も『正保備中国絵図』であるといえる。
注釈
(9) 正保備中国絵図 (聖心女子大学図書館所蔵)
聖心女子大学図書館ではデジタルギャラリーでまとまった量の国絵図をオンライン公開している。同館の『所蔵絵図・古文書目録』によれば、城下町絵図・その他と合わせて「聖心女子学院高等専門学校旧蔵」か「武島又次郎教授旧蔵」で後者の占める比率が高いとのことだが、個々の国絵図がどちらなのかは明示されていない。同目録は「すべて同じ筆致」「かなり後世の写し」とし、見る限りは 1枚の大判の洋紙を使用している。このデジタルギャラリーに『備中国図』(#0986178)として『正保備中国絵図』の写しが含まれる。

本図の大きさは東西 109.5cm × 南北 288.5cmであり、池田家文庫所蔵の『備中国絵図』(T1-32) 等より縮小され、東西方向の圧縮が強い。様式は聖心女子大学図書館所蔵の国絵図に共通の、村を郡ごとに色付けした円であらわし、村名はその外に書く形式で、村高の記載はない。自然描写も山々を緑で彩色しただけで簡略化され、全体の形状も厳密ではなく、南北に長い。しかし国境記載などは『備中国絵図』(T1-32) と一致する。
本図の高梁川河口デルタ付近では、石垣のような構造物が柏島・乚島 (乙島) 付近にも構築されている様子が描かれ、また 3島とも完全に陸続きになっている。後者 (陸続きの描写) については濃淡による表現を省いただけかもしれないが、少なくとも構造物の存在は池田家文庫所蔵よりも時間が経過していることを意味している。厳密にはこの付近の干拓の経過を検討しなければならないが、明暦の大火後に現状反映・再提出されたものであることが示唆される。
また、同デジタルギャラリーには『備中国図』(#0986160)としても『正保備中国絵図』の写しが含まれ、やはり国境記載などが『備中国絵図』(T1-32) と一致する。

本図の大きさは東西 111cm × 南北 285cm であり、『備中国図』(#0986178) とほぼ同じである。様式は聖心女子大学図書館所蔵の国絵図としては例外的で、村々は小判形で表現されている。また彩色はいっさいなく (街道のみ朱色の線で区別)、山々は稜線を線で示すだけである。あるいは写す途上のものなのだろうか。3島の描写は『備中国図』(#0986178) と変わらないが、柏島西の河口の描写は本図のほうが詳しい。
(10) 元禄備中国絵図 (岡山大学 池田家文庫所蔵)
『元禄備中国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち備中国のものである。岡山大学 池田家文庫にはこの『元禄備中国絵図』が現存し、『備中国新御絵図写』(T1-21) として絵図公開データベースシステムでオンライン公開されている。

本図の大きさは東西 268.0cm × 南北 371.4cmで、余白部分 (畾紙) の目録は「備中国高都合并郡色分目録 (備中國高都合并郡色分目錄)」を表題として、奥書に元禄14年(1701) の日付 (『元禄十四辛巳年』) と安藤長門守・木下肥後守の名前が記されている。
解説には「岡山藩が作成した写図で、備前国の控図よりは簡略な仕様である」とあるものの、本図は『天保備中国絵図』と同等の大きさであって縮図ではなく、簡略といえるのは隣国色別のうち美作国の部分が地色のまま (無彩色) であることで、これによって目録部分と彩色の上で区別がない。目録を枠で完全に囲むというのも異例で、簡略であるのは目録のほうであるのかもしれない。しかし本図の各村には村高まで記載され、自然描写の緻密さはほかの元禄国絵図と比べて遜色ない。ただし目録に記載された村数は実際よりも少なく (次の岡山県立記録資料館所蔵を参照)、完成していない絵図であることは確かである。
本図では柏島・乚島 (乙島)・連島の 3島は完全に陸続きとなって、島としても描かれていない。一方で石垣のような構造物はそのまま描かれ、興味深い。
(11) 元禄備中国絵図 (岡山県立記録資料館所蔵)
岡山県立記録資料館にも『〔備中国絵図〕』として『元禄備中国絵図』が現存し、資料目録および高精細画像ページでオンライン公開されている。

本図と岡山大学 池田文庫所蔵を比較すると、まず村のオブジェクト (小判形) に施された郡別の彩色と、隣国色別の彩色が違い、これによって 2つの図から受ける印象も異なったものになっている (ただし退色の影響も大きい)。これを除くと目立つのは余白部分 (畾紙) の目録で、本図の様式はよく見られるものと変わらず、奥書には「元禄十四年辛巳年四月」と、月まで記載されている。また国郡高は一致するが、村数については本図のほうが多く、かつ正しい。国郡高・村数をまとめれば以下のとおりである。
| 郡 | 本図 | 岡山大学 池田文庫所蔵 | ||
|---|---|---|---|---|
| 上房郡 | 22,005.0272石※1 | 27村※2 | 22,005.0272石※3 | 43村※4 |
| 阿賀郡 | 32,531.2213石※5 | 54村※6 | 32,531.2213石※7 | 33村※8 |
| 哲多郡 | 22,753.5033石※9 | 63村※10 | 22,753.5033石※11 | 29村※12 |
| 川上郡 | 25,523.8657石※13 | 70村※14 | 25,523.8657石※15 | 53村※16 |
| 小田郡 | 36,497.7560石※17 | 73村※18 | 36,497.7560石※19 | 33村※20 |
| 後月郡 | 17,790.2480石※21 | 46村※22 | 17,790.2480石※23 | 37村※24 |
| 下道郡 | 13,826.7709石※25 | 31村※26 | 13,826.7709石※27 | 17村※28 |
| 賀陽郡 | 45,007.1756石※29 | 93村※30 | 45,007.1756石※31 | 76村※32 |
| 都宇郡 | 28,251.4050石※33 | 48村※34 | 28,251.4050石※35 | 39村※36 |
| 浅口郡 | 48,981.2398石※37 | 53村※38 | 48,981.2398石※39 | 44村※40 |
| 窪屋郡 | 31,287.4102石※41 | 43村※42 | 31,287.4102石※43 | 43村※44 |
| 総計 (国高) | 324,455.623石※45 | 617村※46 | 324,455.623石※47 | 468村※48 |
岡山大学 池田文庫所蔵の目録に記載されている村数は郷帳 (『元禄備中国郷帳』) のものが書き入れられたままで、国絵図には描かれても郷帳に含められない、個別には村高が設定されず、ほかとまとめて把握される村がまだ数えられていない。たとえば、本図・岡山大学 池田文庫所蔵とも、賀陽郡には村高が記載されている村が 76村、「八田部村内」と付記された「西山村」のように村高が記載されていない村が 17村存在し、本図の記載は合計の 93村だが、岡山大学 池田文庫所蔵では 76村である。ほかも同様と考えられ、つまり本図のほうが正本に近い可能性が示唆される。なお、村数が一致する窪屋郡の場合、「無高」も含めてすべての村に村高が設定されている。
ただし、本図ではその窪屋郡の各村は、貼紙の上に村名が乱雑に記載された状態にある。また村のオブジェクトの向きに着目すると『天保備中国絵図』と共通するのは岡山大学 池田文庫所蔵のほうである。つまり本図の延長上に『天保備中国絵図』はなく、その途中に『元禄備中国絵図』の正本も存在しない。したがって、実際には岡山大学 池田文庫所蔵のほうが、目録さえ完成させればできあがる、より正本に近いものなのかもしれない。
注釈
(12) 元禄備中国絵図 (八重籬神社旧蔵)
『元禄備中国絵図』には八重籬神社旧蔵のものがあり、高梁市 Webサイトの高梁市内の文化財で外観を確認できる。とはいえ262 × 262ピクセルのサムネイルでは何もわからない。少なくとも、岡山大学 池田文庫所蔵ではなく岡山県立記録資料館所蔵の系統のようではある。
本図については、現況も含めて詳細な情報を得られない。高梁市歴史的風致維持向上計画によれば、現在は高梁市歴史美術館に所在するようだが、本図についての情報は見当たらない。
(13) 天保備中国絵図
『天保備中国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち備中国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保備中国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図備中国』(#764059) としてオンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保備中国絵図』は大きさが東西 248cm × 南北 363cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。
注釈
(14) 一覧
(15) 更新履歴
内容
:
- 『日本六十余州国々切絵図 備中国』の記事を追加した。
- 『寛永備中国絵図』の記事を池田家文庫所蔵・ライデン大学図書館所蔵・広島県立歴史博物館所蔵に分割し、それぞれについて内容を若干、整理した。
- 『正保備中国絵図』各図の記事について内容を若干、整理した。
- 『元禄備中国絵図』の記事について、表題を「元禄備中国絵図 (岡山大学 池田家文庫所蔵)」に変更し、内容を若干、整理した。
- 『元禄備中国絵図』(岡山県立記録資料館所蔵) を一覧に追加し、記事にまとめた。
- 『元禄備中国絵図』(八重籬神社旧蔵) の記事を追加した。
:
- 『寛永備中国絵図』『正保備中国絵図』『元禄備中国絵図』(すべて岡山大学池田文庫所蔵) について外観を示した。
:
- 松平乗命旧蔵(写本) を一覧に追加した。
- 中川忠英旧蔵・松平乗命旧蔵の記事を分割した上で、『正保備中国絵図』のそれぞれの記事を追補した
- 『元禄備中国絵図』の記事を若干追補した。
- 『天保備中国絵図』の記事を追加した。
:
- 『寛永備中国絵図』の記事に、様式について『寛永備前国絵図』への参照を追記した。
- 『正保備中国絵図』の記事を岡山大学 池田家文庫所蔵、中川忠英旧蔵・松平乗命旧蔵、および聖心女子大学図書館所蔵に分割した。
:
- 導入文を追加し、概要を追補した。
- 『天保備中国絵図』について外観を示した。
:
- 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
- 同様に一覧表の備考に記載されていた記事を外に出して、冗長な表現などを適宜見直した。
- 『寛永備中国絵図』(ライデン大学付属図書館所蔵) について外観を示した。
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- 新規作成。