オンラインで参照できる備中国絵図 (備中国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。

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(1) 概要

備中国は山陽道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保備中国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764059) がオンライン公開されている。

Fig.899 天保備中国絵図 (国立公文書館所蔵)
(2) 寛永備中国絵図

岡山大学 池田家文庫には『寛永備中国絵図』が現存し、『備中国絵図』(T1-30) として絵図公開データベースシステムでオンライン公開されている。 Fig.978 寛永備中国絵図 (T1-30『備中国絵図』・岡山大学池田家文庫所蔵)

本図の大きさは東西 190.0cm × 南北 189.2cm※1、寛永15年(1638) ごろの作成と推定されている。『寛永備前国絵図』と様式は同一で色彩の鮮やかさが目を引く。記載されている国高は 233,513.13石 (『高都合弐拾三万三千五百拾三石壱斗三舛』)、知行ごとの石高一覧はあるが、郡の一覧はなく郡高は明示されていない。ただし村高の記載はあるので集計は可能である。

ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『備中国絵図 (Bitchū no kuni ezu)』が現存・オンライン公開されている。

Fig.788 寛永備中国絵図 (ライデン大学図書館 Universitaire Bibliotheken Leidens 所蔵)

一見してわかるように、本図は『備中国絵図』(T1-30) と同じ系統の『寛永備中国絵図』であり、余白部分 (畾紙) にある目録の奥書には「延宝七年戌未五月中旬写之」と記載され、延宝7年(1679) に写されたもの (またはその系統) である。国高は 233,513.1石 (『高合貳拾三万三千五百拾三石一斗』) であり、「三舛」(3升) 記載有無を除いて一致する。本図の大きさは東西 189cm × 南北 207cm※2で、『備中国絵図』(T1-30) と同等である。

本図の興味深い描写として、高梁川河口デルタ付近にある、西から順に柏島・乚島 (乙島)・連島の景観がある。『備中国絵図』(T1-30) では島として描かれている 3つの島のうち、もっとも東にある連島は本図では陸続きになっており、おそらく本図が写された時期の景観が反映されている。

このほか池田家文庫所蔵・ライデン大学図書館所蔵の『寛永備中国絵図』の様式については、『寛永備前国絵図』を参照のこと。

なお広島県立歴史博物館所蔵の『備中国絵図』は、解説に「本図の図形は寛永15年の国絵図の系統と見られる」「延宝7年との年記がある」とある。ほかの国絵図同様、解像度が不十分で検討には堪えないが、見る限り同じ日付を持つライデン大学付属図書館所蔵と連島の描写は同一、各種情報の配置も類似する。

注釈
^ ※1: 数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。
^ ※2: 『小野寺』による。数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。
(3) 正保備中国絵図 (岡山大学 池田家文庫所蔵)

岡山大学 池田家文庫には『正保備中国絵図』が現存し、『備中国絵図』(T1-32) として絵図公開データベースシステムでオンライン公開されている。

Fig.979 正保備中国絵図 (T1-32『備中国絵図』・岡山大学池田家文庫所蔵)

大きさは東西 260cm × 南北 356.0cm、余白部分 (畾紙) にある目録には国高として 236,691.825石 (『高都合貳拾三万六千六百九拾壱石八斗弐升五合』) と記されている。本図の高梁川河口デルタ付近の景観は濃淡で表現されているため判断がやや難しいが、乚島 (乙島)・連島は陸続き、柏島も遠浅の海によってほとんど陸続きになっている。このうち連島については石垣のような構造物が構築され、さらに沖にある亀島まで干拓されている。

(4) 正保備中国絵図 (中川忠英旧蔵)

国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には備中国のものが含まれ、現存する (#714173)。オンラインでは公開されていない。『福井』によれば、大きさは東西 228cm × 南北 363cm※1、国高は 236,691.825石 (高都合弐拾参万六千六百九拾壱石八斗弐升五合) で、池田家文庫所蔵の『備中国絵図』(T1-32) に一致することから『正保備中国絵図』であるといえる。

注釈
^ ※1: 数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。
(5) 正保備中国絵図 (松平乗命旧蔵)

国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) にも備中国のものが含まれ、現存する (#725143)。やはりオンラインでは公開されていない。

この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『備中国絵図』もオンラインでは公開されていないが、本図の大きさは東西 215.5cm × 南北 353.5cm※1である。

国立公文書館所蔵の原本は大きさについて情報を得られないが、基本的に京都府立京都学・歴彩館の写本はそのままの大きさで写しているので、同程度の大きさと考えることができる。また『福井』によれば「いろは」記号による支配関係が記載されているといい、また国高は 236,691.825石 (高都合弐拾参万六千六百九拾壱石八斗弐升五合) であることから、本図も『正保備中国絵図』であるといえる。

注釈
^ ※1: 数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。
(6) 正保備中国絵図 (聖心女子大学図書館所蔵)

聖心女子大学図書館ではデジタルギャラリーでまとまった量の国絵図をオンライン公開している。同館の『所蔵絵図・古文書目録』によれば、城下町絵図・その他と合わせて「聖心女子学院高等専門学校旧蔵」か「武島又次郎教授旧蔵」で後者の占める比率が高いとのことだが、個々の国絵図がどちらなのかは明示されていない。同目録は「すべて同じ筆致」「かなり後世の写し」とし、見る限りは 1枚の大判の洋紙を使用している。このデジタルギャラリーに『備中国図』(#0986178)として『正保備中国絵図』の写しが含まれる。

Fig.953 正保備中国絵図 (『備中国図』・聖心女子大学図書館所蔵・デジタルギャラリー公開)

本図の大きさは東西 109.5cm × 南北 288.5cmであり、池田家文庫所蔵の『備中国絵図』(T1-32) 等より縮小され、東西方向の圧縮が強い。様式は聖心女子大学図書館所蔵の国絵図に共通の、村を郡ごとに色付けした円であらわし、村名はその外に書く形式で、村高の記載はない。自然描写も山々を緑で彩色しただけで簡略化され、全体の形状も厳密ではなく、南北に長い。しかし国境記載などは『備中国絵図』(T1-32) と一致する。

本図の高梁川河口デルタ付近では、石垣のような構造物が柏島・乚島 (乙島) 付近にも構築されている様子が描かれ、また 3島とも完全に陸続きになっている。後者 (陸続きの描写) については濃淡による表現を省いただけかもしれないが、少なくとも構造物の存在は池田家文庫所蔵よりも時間が経過していることを意味している。厳密にはこの付近の干拓の経過を検討しなければならないが、明暦の大火後に現状反映・再提出されたものであることが示唆される。

また、同デジタルギャラリーには『備中国図』(#0986160)としても『正保備中国絵図』の写しが含まれ、やはり国境記載などが『備中国絵図』(T1-32) と一致する。

Fig.954 正保備中国絵図 (『備中国図』・聖心女子大学図書館所蔵・デジタルギャラリー公開)

本図の大きさは東西 111cm × 南北 285cm であり、『備中国図』(#0986178) とほぼ同じである。様式は聖心女子大学図書館所蔵の国絵図としては例外的で、村々は小判形で表現され、彩色はいっさいなく (街道のみ朱色の線で区別)、山々は稜線を線で示すだけである。あるいは写す途上のものか。3島の描写は #0986178と変わらないが、柏島西の河口の描写は本図のほうが詳しい。

(7) 元禄備中国絵図

国立公文書館は、元禄国絵図も多く所蔵し、うち正本は下総・常陸・薩摩・大隅の 4国 (令制国 68国ではないものを除く)、写本は五畿 (大和・山城・河内・和泉・摂津) とその周囲である近江・丹波・播磨 の計 8国である。しかし備中国のものは含まれない。

一方、岡山大学 池田家文庫には『元禄備中国絵図』が現存し、『備中国新御絵図写』(T1-21) として絵図公開データベースシステムでオンライン公開されている。

Fig.977 元禄備中国絵図 (T1-21『備中国新御絵図写』・岡山大学池田家文庫所蔵)

大きさは 268.0cm×南北 371.4cm、余白部分 (畾紙) の目録に元禄14年(1701) (『元禄十四辛巳年』) の日付と安藤長門守・木下肥後守の名前が記されている。解説には「岡山藩が作成した写図で、備前国の控図よりは簡略な仕様である」とあるものの、本図は『天保備中国絵図』と同等の大きさであって縮図ではなく、目録が枠で囲っているだけであることや、海 (瀬戸内海) における国境記載がないことのほかは目立った簡略化は見当たらない。村高も記載され、自然描写の緻密さはほかの元禄国絵図の控や精緻な写しと比べて遜色ない。

本図では柏島・乚島 (乙島)・連島の 3島は完全に陸続きとなって、島としても描かれていない。一方で石垣のような構造物はそのまま描かれ、興味深い。

(8) 天保備中国絵図

冒頭で言及のとおり、『天保備中国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉山文庫旧蔵 (#764059) がオンライン公開されている。

紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2

『天保備中国絵図』は東西 248cm × 南北 363cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。

注釈
^ ※1: 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。
^ ※2: 『紅葉山文庫』(1980)
(9) 一覧

『凡例』

種別参照可否確定名称等所蔵・公開備考
確定根拠
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#15748秋田県公文書館 デジタルアーカイブ
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者T1-80岡山大学 絵図公開 データベースシステム
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者備中国[山陽道図]京都大学貴重資料 デジタルアーカイブ
寛永当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵備中国絵図 (T1-30)岡山大学 絵図公開 データベースシステム[写]参照
寛永当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者Bitchū no kuni ezu (備中国絵図) (Ser. 289)Universitaire Bibliotheken Leidens (ライデン大学図書館)参照
寛永当該国絵図であることは確定していない (推定等)、かつ低解像度の画像が公開されているだけで、史料としての活用は限定される。所蔵備中国絵図収蔵品データベース (広島県立歴史博物館所蔵)参照
正保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵備中国絵図 (T1-32)岡山大学 絵図公開 データベースシステム参照
正保当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。筆者中川忠英旧蔵国立公文書館 デジタルアーカイブ参照
正保当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。筆者松平乗命旧蔵国立公文書館 デジタルアーカイブ参照
正保当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。筆者松平乗命旧蔵(写)歴史資料アーカイブ (京都府立京都学・歴彩館所蔵)参照
正保当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者備中国図 (#0986178)聖心女子大学図書館 デジタルギャラリー参照
正保当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者備中国図 (#0986160)聖心女子大学図書館 デジタルギャラリー参照
元禄当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵備中国新御絵図写 (T1-21)岡山大学 絵図公開 データベースシステム参照
元禄当該国絵図であることが確定した画像が公開されているが、外観紹介だけである。所蔵備中国絵図高梁市歴史美術館所蔵 所蔵は平成11年(1999)の時点、高梁市歴史的風致維持向上計画による。現状を含めて詳細不明。
天保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#764059国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (紅葉山)参照
天保当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。所蔵#764246国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (勘定所)参照
(10) 更新履歴

2026.04.02:

2026.03.29:

2026.03.08:

2026.02.18:

2026.01.31:

2026.01.02: