伊賀国絵図

ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、賀国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。

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(1) 概要

伊賀国は五畿七道のうち東海道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保伊賀国絵図』は勘定所旧蔵が現存し、『天保国絵図伊賀国』(#764186) としてオンライン公開されている。

Fig.826 天保伊賀国絵図 (国立公文書館 所蔵)
Fig.826 天保伊賀国絵図 (国立公文書館 所蔵)

伊賀国については正保以降の国絵図 (正保元禄天保) が現存し、これは比較的充実しているほうである。また、三重県所蔵の『正保伊賀国絵図』を含む、同県関係の国絵図は『三重県史 別編 絵図・地図』(1994) で参照できる。しかし出版物のため解像度は限定される。またこの存在からか、国絵図を同県の歴史遺産として広くオンライン公開しようという積極性は、残念ながら三重県から感じ取ることはできない。

(2) 日本六十余州国々切絵図 伊賀国

日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 伊賀国』は文字どおりに伊賀国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 伊賀国』(#15728) として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 84cm × 南北 69cm である。

ほかに『伊賀国[東海道図]』京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 106cm × 南北 78cm、『〔伊賀国絵図〕』(#T1-54)岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 108.4cm × 南北 78.0cm である。

(3) 正保伊賀国絵図 (三重県所蔵)

正保伊賀国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち伊賀国のものである。『正保伊賀国絵図』は三重県所蔵のものが現存し、前述のように『三重県史 別編 絵図・地図』(1994)で参照できる。大きさは東西 180cm × 南北 203cm である。

Fig.912 正保伊賀国絵図 (『三重県史 別編 絵図 ・ 地図』(1994) 所収 ・ 三重県所蔵)
Fig.912 正保伊賀国絵図 (『三重県史 別編 絵図・地図』(1994) 所収・三重県所蔵)

解説によれば、本図は『元禄伊賀国絵図』作成時の写本に現状を反映したものと推定され、余白部分 (畾紙) の目録に記載された国郡高が元禄時点であることと、山田郡最東端の宿駅が上阿波ではなく、元禄11年(1698) 以降※1であるはずの平松になっていることを指摘している。一方で国全体の形状は『元禄伊賀国絵図』とは明らかに異なるほか、国境記載は正保国絵図のものである。

なお、慶長13年(1608) 11月15日付『徳川家康知行宛行状写』※2によれば、この時点で藤堂高虎に「伊賀国一円拾万五百四拾石」が宛行われており、当時から伊賀国の国高 (拝領高) は 10,540石であり、かつ元禄年間(1688~1704) でも変わらない。つまり指摘のうち国郡高については問題とならない。

本図は三重県 Webサイトのコンテンツ『歴史の情報蔵』で『伊賀国絵図』として一応はオンライン公開されている。しかし「拡大」はできるものの、サムネイル画像 (300×333ピクセル) が 950×1,055ピクセルになるだけである。印刷物である『三重県史』収録のほうが細部まで読み取れる。

国郡高の一覧 (正保伊賀国絵図)
本図※3寛文印知※4
39,412.890石※5
39,413.890石※6
山田郡
16,499.020石※7
16,499.020石※8
伊賀郡
27,953.180石※9
27,953.180石※10
名張郡
16,673.912※11
16,673.910※12
総計
10,0540.000石※13
10,0540.000石※14
注釈

(4) 正保伊賀国絵図 (中川忠英旧蔵)

国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には伊賀国のものが含まれ、現存する (#714183)。オンラインでは公開されていない。

『福井bによれば、本図の大きさは東西 184cm × 南北 235cm※1、記載されている石高は 10,540石※2で「この国、郡高は元禄郷帳のそれに符合するから、本図は元禄国絵図と考えられる」とされている。しかし、国高については正保伊賀国絵図 (三重県所蔵) で言及したとおり、伊賀国の国高 (拝領高) は元禄年間まで変わらない。したがって本図も『正保伊賀国絵図』の可能性が高い。詳細な再検討が期待される。

注釈

(5) 正保伊賀国絵図 (松平乗命旧蔵)

国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) にも伊賀国のものが含まれ、現存する (#725041)。オンラインでは公開されていない。

この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『伊賀国絵図』もオンラインでは公開されていないが、目録は国立公文書館デジタルアーカイブよりも充実し、国郡高が記載されている。

これをまとめれば以下のようになる。

国郡高の一覧 (松平乗命旧蔵)
本図※1寛文印地※2
彩郡※339,413.890石39,413.890石
山田郡16,499.020石16,499.020石
阿我郡※427.953.180石27,953.180石
名張郡16.673.910石16,673.910石
総計10,0540.000石10,0540.000石

上記のように、本図の国郡高は『正保伊賀国絵図』(三重県所蔵)やいわゆる寛文印知と変わらない。しかし前述のように伊賀国の国高は慶長13年(1608) から『元禄伊賀国絵図』まで変化がないため、国郡高から本図の性質を特定することはできない。

郡名に注目すると、本図では「伊賀郡」が「阿我郡」と表記されている。この「阿我郡」は元和5年(1619) 2月28日付『藤堂高虎知行形目録※5に「伊州阿我郡之内 猪田村」とあるなど、この時期の文書にみられ、『青山町史』(1979) によれば近世に入ってから伊賀郡を阿我郡と別称した例は多いという。一方、寛文4年(1664) 4月5日付『藤堂高次宛領知判物・目録』では「伊賀郡」であり、混乱のあった郡の再編成や名称の統一は寛文印知のときに集中することから、阿我郡についてはこのときに伊賀郡に統一されたといえる。

したがって本図は『正保伊賀国絵図』である可能性が高く、その場合は「伊賀郡」と表記される三重県所蔵中川忠英旧蔵より、本来の内容を保ったものといえる。なお『名賀郡史』(1920/1973)には「正保の古図に阿我郡と記せり (正保の古圖に阿我郡と記せり)」とある。

注釈

(6) 元禄伊賀国絵図

元禄伊賀国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち伊賀国のものである。『元禄伊賀国絵図』は三重県立図書館所蔵のものが現存し、『正保伊賀国絵図』(三重県所蔵) と同様に『三重県史 別編 絵図・地図』(1994)で参照できる。本図の大きさは東西 142cm × 南北 183cm である。

Fig.913 元禄伊賀国絵図 (『三重県史 別編 絵図 ・ 地図』(1994) 所収 ・ 三重県立図書館所蔵)
Fig.913 元禄伊賀国絵図 (『三重県史 別編 絵図・地図』(1994) 所収・三重県立図書館所蔵)

『元禄伊賀国絵図』は伊賀文化産業協会所蔵のものも現存し、デジタルミュージアム 秘蔵の国 伊賀『元禄13年伊賀国絵図』としてオンライン公開されている。本図の大きさは東西 186.0cm × 南北 193.5cm である。しかし画像データとしては最大でも 1,160×1,195ピクセルに限られ、ビューアにはそれがデフォルトで表示されているので意味がない。ADEACをプラットフォームとして利用する諸機関では、ほかの多くで高解像度・高品質の国絵図を公開しているので残念に感じられる。

(7) 天保伊賀国絵図 (国立公文書館所蔵)

天保伊賀国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち伊賀国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保伊賀国絵図』は国立公文書館に勘定所旧蔵が現存し、『天保国絵図伊賀国』(#764186) としてオンライン公開されている。別に縮図(1/4) 2枚 (『天保伊賀国絵図』(#764274)『同』(#764248)) が現存する。

紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2

『天保伊賀国絵図』は大きさが東西 195cm × 南北 199cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。

注釈

(8) 天保伊賀国絵図 (個人所蔵)

『名張市史だより 第1号』(2006)によれば、『天保伊賀国絵図』の下絵図が市内個人所蔵として現存し、『天保の伊賀国絵図 下図』として外観が紹介されている。本図の大きさは東西 180cm × 南北 197cm である。

監修者による説明によれば、元禄国絵図に修正指示を貼紙 (懸紙) で示したもののようだが、見る限りは 1枚の絵図であり、また隣国色別の彩色が全面に渡って施されていることから、元禄国絵図の分割写本には見えない。本図については興味深いことが多いが、PDFファイル内の JPEGということで圧縮率が高く、特有の「べったり感」から詳細な検討は難しい。

(9) 一覧

伊賀国絵図の一覧
種別解像度参照名称等
所蔵・公開
余州村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照日本六十余州国々切絵図 伊賀国 (#15728)
秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 公開
余州村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照〔伊賀国絵図〕 (T1-54)
岡山大学 絵図公開データベースシステム 公開
余州村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照伊賀国[東海道図]
京都大学 貴重資料デジタルアーカイブ 公開
正保史料としての活用は限定される低解像度の画像がオンライン公開されている。参照伊賀国絵図
三重県
正保オンラインでは参照できない、またはそもそも一般に公開されていない。参照中川忠英旧蔵 (#714183)
国立公文書館 公開 デジタルアーカイブ
正保オンラインでは参照できない、またはそもそも一般に公開されていない。参照松平乗命旧蔵
国立公文書館 デジタルアーカイブ 公開
正保オンラインでは参照できない、またはそもそも一般に公開されていない。参照松平乗命旧蔵(写)
歴史資料アーカイブ 公開 (京都府立京都学・歴彩館所蔵)
元禄史料としての活用は限定される低解像度の画像がオンライン公開されている。参照元禄国絵図 伊賀国
三重県立図書館 所蔵
元禄史料としての活用は限定される低解像度の画像がオンライン公開されている。参照元禄国絵図
デジタルミュージアム 秘蔵の国 伊賀 公開
天保村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照勘定所旧蔵 (#764186)
国立公文書館 デジタルアーカイブ 公開
天保オンラインでは参照できない、またはそもそも一般に公開されていない。参照縮図 (#764274)
国立公文書館 デジタルアーカイブ 公開
天保オンラインでは参照できない、またはそもそも一般に公開されていない。参照縮図 (#764248)
国立公文書館 デジタルアーカイブ 公開
天保史料としての活用は限定される低解像度の画像がオンライン公開されている。参照天保の伊賀国絵図 下図
個人所蔵

(10) 更新履歴

内容

:

  • 日本六十余州国々切絵図の記事について、表題を『日本六十余州国々切絵図 伊賀国』に変更し、説明を整理した。またこのほかの記事についても説明を整理した。

:

  • 一覧に松平乗命旧蔵を追加し、記事にまとめた。
  • 日本六十余州国々切絵図、および『天保伊賀国絵図』の記事を追加した。
  • 『正保伊賀国絵図』・中川忠英旧蔵・『元禄伊賀国絵図』の記事を追補した。

:

  • 『正保伊賀国絵図』の記事を三重県所蔵と中川忠英旧蔵とで分け、「てにをは」等、文章・表現を適宜見直した。

:

  • 導入文を追加し、概要を追補した。
  • 『正保伊賀国絵図』『元禄伊賀国絵図』について記事にまとめた。またそれぞれの外観を示した。

:

  • 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
  • 『天保伊賀国絵図』について外観を示した。

:

  • 新規作成。