オンラインで参照できる出羽国秋田領絵図 (出羽国のうち秋田領※1の絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。

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注釈
^ ※1: 国絵図における分割単位であるため、かならずしも藩領と一致するわけではない。
(1) 概要

本図の範囲は出羽国 秋田・河辺・がちせんぼく・山本・ひら鹿の 7郡である。国絵図における陸奥国・出羽国の分割については『陸奥国と出羽国』を参照のこと。

国立公文書館所蔵の『天保出羽国秋田領絵図』は紅葉山文庫旧蔵 (#1795291) が現存・オンライン公開されている。

Fig.911 天保出羽国秋田領絵図 (国立公文書館所蔵)

出羽国 秋田領の国絵図は、現存状況がきわめて良好で、作成に関係する資料のほか、境界確認図など副次的に準備された絵図も含めてふんだんに残されている。これには秋田県公文書館によるところが大きく、また高解像度でオンライン公開している点も高く評価されるべきである。本総覧で扱っているもの (慶長・寛永・正保・元禄・天保国絵図) 以外にも享保10年(1725) の郡単位の絵図なども所蔵・公開されている。

(2) 日本六十余州国々切絵図
Fig.791 出羽国 (『出羽国[中山道図]』・京都大学附属図書館所蔵・貴重資料デジタルアーカイブ公開)

出羽国の『日本六十余州国々切絵図』(余州図) は、陸奥国と同様、出羽国全体が描かれている。このため『余州図』としては大きく、紙面全体に描かれ、余白がほとんどない。寛永国絵図がどのような形式だったのかは、陸奥・出羽両国とも寛永国絵図と推定される国絵図が発見されていないため、いまのところわからない※1

聖心女子大学図書館所蔵の『出羽国図』は、同館所蔵の国絵図に共通の形式 (村を小さな円であらわし名称をその外に書くなど) だが、この点を除けば『余州図』の出羽国である。陸奥国と同様、里程が整理・詳細化されている箇所があるが、比較的少ない。また国境記載は「奥州」「同」「ヘ出」などを省いている。

注釈
^ ※1: 次項の『出羽六郡野書絵図』が寛永国絵図の一部であれば、部分的に写し取った印象があり、おそらく出羽一国で作成され、それが『正保出羽国絵図』(『出羽一国御絵図』) にも引き継がれたと推定できる。
(3) 出羽六郡野書絵図
秋田県公文書館 所蔵の『出羽六郡野書絵図』は由利郡を除く秋田領絵図で、正保2年(1645) 4月17日 (「正保貳年四月十七日) と記載され、正保国絵図の一部ではない (正保国絵図の作成指示は正保元年(1644) 12月、出羽国絵図の献上は正保4年(1647) 9月※1)。江戸幕府の指示によって作成された国絵図であれば寛永国絵図の一部といえ、村名の表現 (文字の選択) はその略図 (縮図) と推定される『余州図』(および特徴が共通する『寛永国絵図』本体) と共通するが、どうか。
注釈
^ ※1: 『秋田藩の国絵図と郷帳』、『秋田藩の国絵図と郷帳』 所収、cc.67-78。
(4) 正保出羽国絵図

『正保出羽国絵図』は秋田県公文書館に控図が現存し、『出羽一国御絵図』としてオンライン公開されている。その大きさは南北 1,225cm×東西 535cmと破格の巨大さである。これに対して、同館でオンライン公開するものは南北 12,369 × 東西 6,054ピクセルと、オンライン公開される国絵図としては中程度以下、圧縮率が高いため品質も悪く、拍子抜けする。しかし実際にはこれを 60分割 (南北12×東西5) したものが続き、それらは高解像度・高品質で、村名は筆致まで確認できる。組み合わせた大きさは 92,236 × 41,710ピクセルで、確かに分割しなければまともに扱えない。

Fig.790 正保出羽国絵図 (『出羽一国御絵図』・秋田県公文書館所蔵)

『出羽一国御絵図』(『正保出羽国絵図』) における出羽国の郡は寛文年間(1661~1673) の再編前のため、遊佐郡や豊嶋郡などが存在し、また正保郷帳である『村山郡村高目録』『最上郡村高目録』※1と同様、南山・赤松・角川・堀之内・蔵岡・古口の6村は村山郡に含まれ、最上郡には含まれない。

中川忠英旧蔵の出羽国絵図はオンライン公開されていない。福井によれば同様に一国全体を描いたもので、国高は 951,523石余 (合高九拾五万千五百弐拾参石余) とされる。福井は特定していないが、この国高は秋田県公文書館の『出羽一国御絵図』に一致する。

致道博物館には南北1,089×501の『出羽一国之絵図』が現存し※2、これは元禄国絵図 (『元禄出羽国 庄内領絵図』) の作成に当たって鶴岡藩が秋田藩から『出羽一国御絵図』を借り受けて写されたものと推定されている※3。また米沢市上杉博物館にも『出羽一国御絵図』が存在し、大きさは南北 543.5cm × 東西 537.0cm※4で南部 45%ほどである。図録※5などでは「元禄14年(1701) 2月」とあるためまぎらわしいが、同館 Webサイト※6で参照可能な画像を見る限りは遊佐郡が存在するなど、あくまでも (正保国絵図である) 秋田県公文書館所蔵『出羽一国御絵図』の写しである。鶴岡藩同様、『元禄出羽国 米沢領絵図』を作成するにあたって米沢藩が秋田藩から借り受けて写されたものと考えられる。南部しか存在しないのもはじめからなのだろう。しかし傷みが激しい秋田県公文書館の『出羽一国御絵図』南部はこれによって補われる。

このほか山形県立図書館にも『出羽一国御絵図』が現存するが、これはかなりの略図で大きさは南北 192cm × 東西 76cm、酒田市文化資料館光丘文庫『出羽一国御絵図』は宝暦12年(1762) 成立の地誌『出羽国風土略記』の付図で、略図であることは同様だが国境記載などは豊富である。

注釈
^ ※1: 正保4年(1647) 9月付、『山形県史 資料篇18 近世史料3』(1983) 所収、cc.23-40 および cc.88-90。
^ ※2: 『特別展 ザ・絵図 近世やまがたの風景』(1994)
^ ※3: 『秋田藩領城下町・在郷給人町の官製図について』、『東北大学建築学報 20』 所収、cc.20-41。
^ ※4: 『伝国の杜だより 44』(2023)
^ ※5: 『特別展 上杉氏と国絵図の世界』
^ ※6: 『展覧会一覧』の『特別展「上杉氏と国絵図の世界」』記事
(5) 元禄出羽国絵図

『元禄出羽国絵図』は、陸奥国と同様、秋田領・庄内領・新庄領・山形領・米沢領 (秋田藩・鶴岡藩・新庄藩・山形藩・米沢藩) で分けて作成された※1。このため現存状況はそれぞれである。

注釈
^ ※1: 『特別展 ザ・絵図 近世やまがたの風景』(1994)
(6) 天保出羽国秋田領絵図

『天保出羽国秋田領絵図』は、国立公文書館所蔵の正本のほか、幕府から提供された『元禄出羽国秋田領絵図』の分割写本に基づくと考えられる 13分割帯状の国絵図が秋田県公文書館に現存する。

『出羽国七郡絵図』(#119930)『同』(#119931)から『同』(#119943)までを一度に撮影したもので、54cm幅×13で構成される。詳細には記載内容の精査が必要だが、様式からいえば『元禄出羽国秋田領絵図』の分割写本 (かその忠実な写本) の上に、変更がある部分に限ってその変更内容を描いた薄紙 (懸紙) を重ねたものである。薄紙は国許に現存していることから下絵図であり、これによって変更箇所がいわば上書きされているので、全体としても (『元禄出羽国秋田領絵図』の写本ではなく)『天保出羽国秋田領絵図』の下絵図といえる。

『出羽国七郡絵図』(#123351)は「東西に13分割 (1、13欠)」とある国絵図で、精査については同様だが、様式から上記と同様に『元禄出羽国秋田領絵図』の分割写本 (かその忠実な写本) の上に、変更がある部分に限ってその変更内容を描いた薄紙 (懸紙) を重ねたものである。一部ラベル (資料番号) を確認できないのでなんともいえないが、左 (北) から順番に番号が付けられていれば、存在しないのは #1と #12であって、#13は存在する。

『出羽国七郡絵図』(#119930) と『出羽国七郡絵図』(#123351) について、作成の前後関係はわからない。薄紙は基本的に共通しているが、前者にはないものが後者には存在し、また全般的に清書に近い印象なのは後者である。しかし村のオブジェクト (小判形) の色付け (正本における郡ごとの塗り分けとは異なる基準不明のもの) には偏りがあって、前者は南部、後者は北部に集中する。あるいは南北でおおまかに分担しつつ、相互に整合性を確認しながら仕上げたものか。

『出羽国七郡絵図』(#119914)『同』(#119915)から『同』(#119927)までを一度に撮影したもので、54cm幅×13で構成される。やはり詳細には記載内容の精査が必要だが、『元禄出羽国秋田領絵図』の分割写本上に薄紙 (懸紙) の最終版を配置した状態のものを、分割された形式にも忠実に清書し、控図として残したものと考えられる。

(7) 一覧

『凡例』

種別参照可否確定名称等所蔵・公開備考
確定根拠
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#15700秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 出羽国全体。参照
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者T1-108岡山大学 絵図公開 データベースシステム 出羽国全体。参照
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者出羽国[中山道図]京都大学貴重資料 デジタルアーカイブ 出羽国全体。参照
余州当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者出羽国図聖心女子大学図書館 デジタルギャラリー 出羽国全体。参照
不明当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。備考出羽六郡野書絵図 (#120076)秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 秋田領 (由利郡を除く)参照
正保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵出羽一国御絵図秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 出羽国全体参照
正保当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。筆者中川忠英旧蔵国立公文書館 デジタルアーカイブ 出羽国全体参照
正保当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。備考出羽一国之絵図致道博物館 出羽国全体参照
正保当該国絵図であることが確定しているが非公開、オンラインで参照できない。備考出羽一国御絵図米沢市上杉博物館 出羽国全体参照
正保所蔵出羽一国御絵図山形県立図書館 出羽国全体参照
正保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者出羽一国御絵図酒田市文化資料館 光丘文庫 デジタルアーカイブ 出羽国全体参照
正保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵六郡絵図 (#120924)秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 秋田領 (由利郡を除く) 厳密な時期は不明だが、精巧さと #120668 の存在からいえば直接の写しと思われる。
正保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者六郡御絵図 (#120668)秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 秋田領 (由利郡を除く)。内容は基本的に正保国絵図、一方で国郡一覧では檜山郡が山本郡となって「本ハ檜山郡」と付記されているなど、寛文年間(1661~1673) の再編が反映されている。村高・いろは別は省略され簡略的。再提出した際の控えか、写しからさらに作成された写しかと思われる。
元禄当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵出羽七郡絵図秋田県公文書館 デジタルアーカイブ控? 秋田領。「元禄国絵図の控か」とある。
元禄当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵出羽七郡絵図秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 秋田領。精巧な写し、写された時期・現状反映有無は不明。
その他当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵秋田領絵図秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 秋田領 (由利郡を除く)。享保14年(1729) の日付がある。
天保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵出羽国七郡絵図秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 秋田領参照
天保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者出羽国七郡絵図秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 秋田領参照
天保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵出羽国七郡絵図秋田県公文書館 デジタルアーカイブ写(控相当) 秋田領参照
天保当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵#1795291国立公文書館 デジタルアーカイブ正 (紅葉山) 秋田領
その他当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵秋田領六郡絵図 (#120074)秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 秋田領 (由利郡を除く)。「嘉永の国目付に提出した絵図の控」とあり、絵図内に嘉永2年(1849) の日付と説明がある。秋田・山本・平鹿・雄勝 4郡の石高 (郡高) は天保国絵図と一致、河辺・仙北 2郡は少ない。久保田藩 (秋田藩) の藩領に限定しているからだろう。
その他当該国絵図であることが確定した、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者六郡御絵図 (#120656)秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 秋田領 (由利郡を除く) 国郡高は #120074 に一致、こちらのほうが淡い印象であるほかは色使いも含めて様式は共通する。国境・領境および由利郡境の記載がかなり詳細化され、また余白の追記も豊富である。#120074 に藩に必要な情報を書き入れたか、もしはここから不要な情報を除いたのが #120074 か。
その他当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。筆者出羽六郡絵図 (#120762)秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 秋田領 (由利郡を除く)。色使いが #120656 と共通するが情報はかなり少ない。#120656 の下絵図か。
不明当該国絵図であることは確定していないが (推定等)、村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。所蔵秋田領絵図秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 秋田領 (由利郡を除く)。目録によれば享保15年(1730)に写したもの。
(8) 変更履歴

2026.02.18:

2026.01.31:

2026.01.02: