28.3. 江戸前期

28.3.1. 葛飾郡

(1) 変動の要因と時期

寛永年間(1624~1644) 下総国 葛飾郡は分割され、西半分 (ごうはん領・まつぶし領・さっ領・島中川辺領) は武蔵国 葛飾郡となった。

Fig.092 二郷半 ・ 松伏 ・ 幸手 ・ 島中川辺 (下総 ・ 武蔵国界): 寛永年間(1624~1644)
Fig.092 二郷半・松伏・幸手・島中川辺 (下総・武蔵国界): 寛永年間(1624~1644)

正保武蔵国郷帳・国絵図に相当する『15. 武蔵国(7)』『武蔵田園簿』にはこれらの地域は武蔵国 葛飾郡として含まれている。また幸手領のひら村に寛永4年(1627) と同11年(1634) の検地帳が現存しており、寛永4年は「下総国勝鹿郡幸手内平須賀村」であるのに対し、寛永11年は「武州幸手之内平須賀村」となっている。したがって検地の過程で順次、国郡は改められていったものと推定される。

鎌倉期から南北朝期にかけては葛西御厨 (南部)・下河辺庄 (北部) として経過した下総国 葛飾郡は、きょうとくの乱と古河公方の成立以降、はじめ関東管領・上杉氏と太田氏など関係諸勢力、のちに後北条氏が伊豆・相模・武蔵と徐々にその版図を広げると、古河公方とそれを支援する東関東の在地勢力が睨み合う構図となって、境界は流動化した。しかし武蔵・下総国界についていえば、地形的な要因もあって基本的には武蔵の領域が下総の領域を圧迫する状況にあったとみられる。

新方地域は岩付 (岩槻) の影響下におかれてその領域と一体化し、江戸初期の検地の過程で武蔵国 埼玉郡として把握された。葛飾郡だったという記憶自体が存在しない、あるいは残らなかった。葛西地域の場合、後北条氏の領域認識は豊臣政権・徳川政権に引き継がれなかったが、朱印状や江戸初期の国絵図には食い違いが合って、混乱というかたちで継承されることになった。同じようなことがのちに二郷半領・松伏領・幸手領・島中川辺領とされる一帯にも少なからずあって、検地の過程で整理されたのだろう。

江戸初期の一帯には後背湿地に起因する低湿地が多く存在していた。これが治水の進展に従って新田として開発され、広大な穀倉地帯に変貌した。政治的な意味ではこれらを武蔵国に組み入れることで幕府の足下を盤石にすることがあったかもしれない。しかし戦国期~織豊期でいう領国という意味では、伊豆と関八州がそもそも領国であってその内訳である武蔵・下総国界に意味があったかわからない。

なお国界の確定時期としては葛西地域 (西葛西領・東葛西領) も二郷半領・松伏領・幸手領・島中川辺領と変わらない。しかしその経緯と江戸初期国絵図における描写の違いから、本稿では別に扱うものとした。

(2) 島中川辺領の特異性

船橋市西図書館蔵の『下総之国図』では、島中川辺領にあたる部分に「武蔵」とあって下総国には含められていない。

Fig.660: 船橋市西図書館所蔵 下総之国図 (船橋市デジタルミュージアム公開)
Fig.660: 船橋市西図書館所蔵 下総之国図 (船橋市デジタルミュージアム公開)

地形的にはその領域名称にあらわれているように諸河川が乱流する地域にあるほか、武蔵・下野・下総 3国の国界に存在する。ここに曖昧化の背景があるのは確かだが、いまのところこれ以上はわからない。なお「島中川辺」の読みについて『 新編武蔵国風土記稿・新編相模国風土記稿』の『浄書稿本』は「島中河邉」の表記で「シマチウカワヘ」と読ませている。しかし一般には「しまなかかわべ」と読むので、本稿もこれに従った。

(3) 天保郷帳・国絵図の村々

(a) 二郷半領

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Fig.093 二郷半領 (下総 ・ 武蔵国界): 寛永年間(1624〜1644)
Fig.093 二郷半領 (下総・武蔵国界): 寛永年間(1624〜1644)
近世 武蔵国 葛飾郡 ごうはん※1
105.
花和田村※2
106.
彦江村※3※4
107.
谷口村※5※6
108.
境木村※5※6
109.
さん※5
110.
戸ケ崎村※7
111.
まき※5※8
112.
まえ※5※8
113.
高須村※9
114.
久兵衛村※5※9
115.
小向村※5※10
116.
樋口村※5※10※11
117.
長戸呂村※5
118.
徳島村※5
119.
彦沢村
120.
ばんしょうめん※12
121.
かみぐち
122.
長沼村※5
123.
八町堀村※5※13※14
124.
下彦川戸村※15
125.
彦倉村※16
126.
彦野村
127.
上彦川戸村※15
128.
上彦名村※17※18
129.
彦成村※19
130.
彦音村※20
131.
彦糸村
132.
采女新田※5
133.
笹塚村※5※21
134.
駒形村※22※21
135.
蓮沼村※5※23
136.
仁蔵村※5
137.
谷中村※5※24
138.
こうぼう※24
139.
岩野木村※5※24
140.
※5
141.
丹後村※5
142.
大広戸村※25
143.
半田村※26※27※28
144.
どうにわ
145.
中曽根村
146.
たかひさ
147.
高富村
148.
富新田※5※29
149.
二ツ沼村※5
150.
後谷うしろや※5
151.
ぜん
152.
ぼり※5
153.
三輪野郷村※30※31
154.
土場どじょう※5
155.
飯島村※5
156.
中島村
157.
木売新田※5
158.
うり※32
159.
160.
中野村※5※33※34
161.
平沼村
162.
吉川村※35
163.
さらぬま※5
164.
加藤村
165.
はんわり
166.
吉屋村※5※36
167.
鹿ししづか※5
168.
中井村※5
169.
会野谷村
170.
関新田※5
172.
関村
173.
川富村
174.
川野村
175.
※37
178.
上笹塚村※38
271.
田中新田※5
272.
市助村※5※39
273.
前川村※5※40
274.
大膳村※5※39
275.
鎌倉村※5※41
276.
横堀村※5※14
277.
下新田村※5※42
278.
小松川村※5※43
279.
酒井村※5※44
280.
壱本木村※5※14
注釈

(b) 松伏領

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Fig.094 松伏領 (下総 ・ 武蔵国界): 寛永年間(1624〜1644)
Fig.094 松伏領 (下総・武蔵国界): 寛永年間(1624〜1644)
近世 武蔵国 葛飾郡 まつぶし※1
171.
鍋小路村※2
176.
川藤村※3
177.
下赤岩村※4
179.
八子村※2※5
180.
下内川村※6
181.
上内川村※6
182.
広島村※7※8
183.
拾一軒村※2※9
184.
田島村※7
185.
上赤岩村※4
186.
松伏村
187.
大川戸村※10
188.
赤沼村
189.
銚子ちょうしぐち
190.
藤塚村
191.
牛島村
192.
新川村※7
193.
樋堀村
注釈

(c) 幸手領

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Fig.095 幸手領 (下総 ・ 武蔵国界): 寛永年間(1624~1644)
Fig.095 幸手領 (下総・武蔵国界): 寛永年間(1624~1644)
近世 武蔵国 葛飾郡 さっ※1
194.
八町目村※2
195.
小渕村
196.
不動院野村※3
197.
ろう※4※5
198.
大塚村※4
199.
本郷村※6
200.
堤根つつみね※7
201.
ならびづか※4※8
202.
寄合新田※9※10
203.
蓮沼村※4※11
204.
照市新田※9※12
205.
さい※13※4
206.
佐左衛門村※4
207.
広戸沼村※14
208.
遠野村※15
209.
倉松村※16
210.
せい
211.
杉戸宿※17
212.
大島村※4
213.
下高野村※18
214.
ばらじま※4
215.
下野村
216.
上高野村村※18
217.
天神島村※19
218.
吉野村※20
219.
かみ※21※22
220.
やす※23※22
221.
神扇村※9※24
222.
長間村※25
223.
惣新田※26
224.
中野村※27
225.
平須賀村※28※29
226.
平野村※30
227.
高須賀村※31
228.
下宇和田村※32
229.
上宇和田村※32
230.
下吉羽村※33
231.
しんめいうち※34※35
232.
だて※36
233.
かみよし※37※38
234.
権現堂村
235.
幸手宿※39※40※41
236.
うち国府こう
237.
下川崎村※42
238.
中川崎村※42
239.
上川崎村※42
240.
西大輪村※43
241.
外野村※9※44
242.
東大輪村※43
243.
づか
244.
そと国府こう
245.
高須賀村※31
246.
松石村
247.
えんどううち※45
248.
はっぽう※46※47
281.
大寿院新田※48
注釈

(d) 島中川辺領

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Fig.096 島中川辺領 (下総 ・ 武蔵国界): 寛永年間(1624~1644)
Fig.096 島中川辺領 (下総・武蔵国界): 寛永年間(1624~1644)
近世 武蔵国 葛飾郡 しまなかかわ※1
249.
島川村
250.
高柳村※2
251.
高柳新田
252.
新井村
253.
河原代村※3
254.
狐塚村※4
255.
中里村※5
256.
小右衛門村
257.
広島村※5※6
258.
佐間村
259.
佐間新田
260.
がま※7
261.
間鎌新田
262.
松長村※8
263.
伊坂村※9
264.
栗橋町※10
宝聖寺末寺帳

現在も幸手市 平須賀 (近世 武蔵国 葛飾郡 幸手領 平須賀村にあたる) に所在する宝聖寺の末寺帳。慶長11年の写本が残り、翻刻されたものが「埼玉の中世文書」(1960) や「鷲宮町史 史料3 中世」(1982) などに所収されている。

本土寺過去帳

千葉県 松戸市に現存する長谷山ちょうこくさん ほんの過去帳。過去帳は、檀家・信徒の法名・実名・亡くなった年月日・年齢などを記録した帳簿である。点的な情報の集合であることから扱いには注意が必要だが、膨大な量の人名・地名を含み、特に中世の史料が十分でない周辺一帯の過去を探る上で貴重な史料となっている。「天正本」と呼ばれる系統の本土寺所蔵原本 (本来の表題は『大過去帳』) を翻刻したものに『千葉県史料 中世編 本土寺過去帳』(1982) があり、これにはほかの系統・写本・翻刻についての詳しい解説も含まれる。調査には『本土寺過去帳年表』(1985)『本土寺過去帳地名総覧 上』(1987)『同 下』(1987) を併用するとよい。

注釈