オンラインで参照できる美作国絵図 (美作国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。
↓一覧へ移動美作国 (作州) は山陽道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保美作国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉文庫山旧蔵 (#763972) がオンライン公開されている。

『日本六十余州国々切絵図 (余州図)』は、秋田県公文書館に 68国のすべてが現存し、秋田県公文書館デジタルアーカイブで公開されている。『日本六十余州国々切絵図』の通称も同館のものによる。『余州図』についての一般論は『6. 寛永国絵図・日本六十余州国々切絵図』を参照。
秋田県公文書館デジタルアーカイブでは『日本六十余州国々切絵図 美作国』が公開され、東西 142cm × 南北 109cm、ほかに『美作国[山陽道図]』 が京都大学貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 164cm × 南北 120cm、『〔美作国絵図〕』(T1-94) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、東西 164.1cm × 南北 116.7cm である。
広島県立歴史博物館には『美作国絵図』が現存し、収蔵品データベースでオンライン公開されている。
この収蔵品データベースは、jmapps.ne.jpドメインで構築・運営されているため、どの画像も低解像度・低品質であり、外観を確認できる程度でしかない。本図も拡大する機能を備えたビューア※1で公開され、画像データとしては 1,600 × 1,092ピクセルである。ほかに東西に分けたものが公開されているが、東部はやや解像度が上がる程度、目録を含む西部はほぼ変わらない。
美作国の郡構成は、他国と同様に寛文年間(1661~1673) に 12郡から 10郡に再編され、改称もされた (再編・改称については次の『正保美作国絵図』を参照)。余白部分 (畾紙) にある目録 (かろうじて判読できる) によれば、本図は 12郡構成で郡名は改称前のものであり、したがって少なくとも正保国絵図かそれ以前の国絵図といえる。
内容に注目すれば、宿駅と思われるもの村 (町) のオブジェクトはおそらく短冊形・彩色黄、それらを除く村のオブジェクトはおそらく不定形の楕円で郡ごとの彩色はない。郡内に配された見出しは短冊形の枠を持ち、黄色に彩色されている。街道は朱線で一里塚はあるが、主・副 (本・脇) の区別があるようには見えず、川幅記載もない。また国の形状は不正確で長方形に近く、『余州図』に類似する。
以上から本図は『寛永美作国絵図』である可能性が高いといえる。しかし前述のような解像度・品質の画像ではこれ以上の検討はできず、惜しまれる。本図の大きさは東西 281.00cm × 192.40cm である。
ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『美作国絵図 (Mimasaka no kuni ezu)』が現存・オンライン公開されている。

本図の大きさは東西 361.5cm × 南北 249cm で※2、余白部分 (畾紙) に目録があり、国郡高が記載されている。表にまとめれば以下のようになる。
| 郡※3 | 本図 | 寛文印知※4 | ||
|---|---|---|---|---|
| 吉野郡 | 14,400.1石 | ※5 | 14,400.1石 | ※6 |
| 英田郡 | 1,0036.5石 | ※7 | 1,0036.5石 | ※8 |
| 勝北郡 (勝田郡) | 25,356.2石 | ※9 | 43,796.7石 | ※10 |
| 勝南郡 (勝田郡) | 18,440.5石 | ※11 | ||
| 東北条郡 (苫北郡) | 9.741.4石 | ※12 | 9.741.4石 | ※13 |
| 東南条郡 (苫東郡) | 7,277.8石 | ※14 | 7,277.8石 | ※15 |
| 西北条郡 (苫南郡) | 7,698.4石 | ※16 | 7,698.4石 | ※17 |
| 西々条郡 (苫西郡) | 18,217.8石 | ※18 | 18,217.8石 | ※19 |
| 久米南条郡 (久米郡) | 17,304.9石 | ※20 | 39,415.0石 | ※21 |
| 久米北条郡 (久米郡) | 22,110.1石 | ※22 | ||
| 大庭郡 | 14,490.6石 | ※23 | 14,490.6石 | ※24 |
| 真島郡 | 21,425.7石 | ※25 | 21,425.7石 | ※26 |
| 総計 (国高) | 186,500.0石 | ※27 | 186,500.0石 | ※28 |
| 人名 | 森伯耆守 (森長武) | 森内記 (森長継) | ||
美作国では、他国と同様に寛文年間(1661~1673) に郡が再編され、勝北・勝南 2郡が勝田郡に、久米北条・久米南条郡が久米郡に統合されたことで 12郡から 10郡に整理された。また古代の苫田郡に由来する東北条・東南条・西北条・西西条 (西々条) の 4郡は、それぞれ苫北・苫東・苫南・苫西に改称された。このため国絵図の性質は特定しやすく、12郡かつ旧名の本図は少なくとも正保国絵図かそれ以前の国絵図ということになる。
様式に注目すれば、主・副 (本・脇) の区別があって一里塚が明示された街道や、郡界・村のオブジェクト・道程記載等、正保国絵図の仕様に従っている。したがって本図は『正保美作国絵図』である。
一方、目録の奥書には「森伯耆守」と記載されている。森伯耆守は、津山藩 第3代の長武であり、為政期間は延宝2年(1674) ~貞享3年(1686) である。したがって本図はもとの『正保美作国絵図』ではなく、時期としてはやや遅い印象はあるものの、明暦の大火以後に再提出されたものといえる。
| ^ ※1: | 文字どおりに拡大することができる。 |
| ^ ※2: | 『小野寺』による。数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。 |
| ^ ※3: | 括弧内は寛文印知における名称。 |
| ^ ※4: | 寛文4年(1664) 4月5日付『森長継宛領知判物・目録』、『寛文朱印留 上』(1980) 所収、c.40。 |
| ^ ※5: | 「高壹万四千四百石壹斗」。 |
| ^ ※6: | 「高壱万四千四百石壱斗」。 |
| ^ ※7: | 「高壹万参拾六石五斗」。 |
| ^ ※8: | 「高壱万三拾六石五斗」。 |
| ^ ※9: | 「高貳万五千三百五拾六石二斗」。 |
| ^ ※10: | 「高四万三千七百九拾六石七斗」。 |
| ^ ※11: | 「高壹万八千四百四拾石五斗」。 |
| ^ ※12: | 「高九千七百四拾一石四斗」。 |
| ^ ※13: | 「高九千七百四拾壱石四斗」。 |
| ^ ※14: | 「高七千貳百七拾七石八斗」。 |
| ^ ※15: | 「高七千弐百七拾七石八斗」。 |
| ^ ※16: | 「高七千六百九拾八石四斗」。 |
| ^ ※17: | 「高七千六百九拾八石四斗」。 |
| ^ ※18: | 「高壹万八千二百拾七石八斗」。 |
| ^ ※19: | 「高壱万八千弐百拾七石八斗」。 |
| ^ ※20: | 「高壹万七千三百四石九斗」。 |
| ^ ※21: | 「高三万九千四百拾五石」。 |
| ^ ※22: | 「高貳万二千百拾石一斗」。 |
| ^ ※23: | 「高壹万四千四百九十石六斗」。 |
| ^ ※24: | 「高壱万四千四百九拾石六斗」。 |
| ^ ※25: | 「高貳万千四百廿五石七斗」。 |
| ^ ※26: | 「高弐万千四百弐拾五石七斗」。 |
| ^ ※27: | 「惣高合拾八万六千五百石」。 |
| ^ ※28: | 「都合拾八万六千五百石」。 |
『平成24年度 特別展図録 江戸時代の地図づくり』(2012)によれば、個人所蔵の『正保美作国絵図』が現存し、同図録に収録されている。この図録で『正保美作国絵図』は本来、表題 (中扉)・解題・部分・折り込みで全体、の順に収録されているが、電子化 (スキャン・PDF化) の際に、折り込みはほかと合わせて末尾に回されている。
大きさは東西 372cm × 南北 280cm で、本図の余白部分 (畾紙) にある目録に記載された郡の構成は、配列を含めてライデン大学図書館所蔵と同じであり、石高も186,500石 (『惣高合拾八万六千五百石』) で一致する。奥書には「美作一国之絵図 (美作一國之繪圖)」「森内記」と記されている。
本図は、印刷物かつ電子化における圧縮率の関係で詳細な検討は難しいが、見る限りは背景の自然描写まで含めて緻密に描かれ、控図か、あるいは清書する直前の下絵図と思われる。奥書の「森内記」は津山藩 第2代の長継であり、為政期間は寛永11年(1634)~延宝2年(1674) である。この期間には正保国絵図作成の時期が含まれ、矛盾はない。なお、いわゆる寛文印知の判物にも長継の名前がある。
『正保美作国絵図』は前項の個人所蔵とは別に個人所蔵のものが存在する。これは『川上村史』(1980) などで「村上小平治所蔵」として言及されるもので、『江戸時代図誌 別巻1』(1977) に主要部分が収録されている※1。資料名は「美作一国之絵図」とあり、本図の場合、大幅にトリミングされているため目録の大部分は見えないが、奥書に前項の個人所蔵と同様に「美作一国之絵図 (美作一國之繪圖)」と記載されているようだ。また説明を読む限りは郡の構成も同じである。
大きさは 東西360cm × 南北 273cmで、少し小さく余白部分 (畾紙) を狭くしているとみられ、目録と国境記載との間は本図のほうが狭く余裕がない。このほか大庭郡内と、勝北・東北条 2郡にまたがる部分で、本来の彩色ではなく白 (地色ではない) で塗られた村々がある。本図は折り目から水が浸入したことによるとみられる傷みが激しいが、たとえば下部の国境記載が集中する部分では、文字が水損の影響を受けていないように見える。部分的な修繕が試みられたのかもしれず、村々の白による彩色もひとまず文字を乗せるための処置だったのかもしれない。注釈
^ ※1: 『江戸時代図誌 20』(1976) にもモノクロで収録されている。
『平成24年度 特別展図録 江戸時代の地図づくり』(2012)によれば、個人所蔵の『元禄美作国絵図』が現存し、同図録に収録されている。この図録では本来、『正保美作国絵図』と同様、表題 (中扉)・解題・部分・折り込みで全体、の順に収録されているが、電子化 (スキャン・PDF化) の際に、折り込みはほかと合わせて末尾に回されている。
本図は帯状に 6分割され、南北方向に長く、1分割あたり東西 (幅) 62cm × 南北 285cm、全体では東西 372cm × 南北 285cm である。天保国絵図は、幕府から提供された元禄国絵図の分割写本に薄紙 (懸紙) を重ねて修正内容を記載し、提出するという方法が採用された。このためこのときの分割写本や、これを写したものが国許に元禄国絵図として残る場合がある。しかし美作国については、別にその分割写本に基づく『天保美作国絵図』の下絵図 (下図) が現存し、7分割かつ標準的な東西 (幅) 55cmである。また本図には余白部分 (畾紙) に目録が存在し、各村に村高が記載されている点も通常とは異なる。『元禄土佐国絵図』などのように保存目的で分割したのだろうか。
内容については「美作国髙都合并郡色分目録」の表題とともに目録には郡名とその色見本、郡高の一覧があって、『元禄美作国絵図』では『正保美作国絵図』と同じ郡構成に復されたため、東南条・東北条・西北条・西西条 (西々条)・大庭・真島・久米北条・久米南条・勝南・勝北・英田・吉野の 12郡が記載されている。ただし吉野郡およびそれ以降はトリミングされ確認できない (博物館の図録としては感心しない)。解題によれば総計 (国高) の 259,353.701石 (『高都合弐拾五万九千三百五拾三石七斗壱合』) と村数、元禄13年(1700) 12月の日付 (『元禄十三庚辰年十二月』)、松平備前守の名前が記されている。
本図はもともとなのか、用紙および撮影環境によるものかはわからないが、全体的に淡い印象があり、隣国色分けも縁取り程度の最小限に留めている。しかし見る限り背景となる自然描写は緻密で正本同等と思われる。村のオブジェクトは、目録の色見本に反して彩色されていないのは、本図の性質を特定する上ではひとつの要素になるのではないだろうか。
| 郡 | 本図 | 九津見家旧蔵※1 | ||
|---|---|---|---|---|
| 東南条郡 | 10,654.013石 | ※2 | 10,654.013石 | ※3 |
| 東北条 | 15,120.803石 | ※4 | 15,120.803石 | ※5 |
| 西北条郡 | 10,487.784石 | ※6 | 10,487.784石 | ※7 |
| 西々条郡 | 26,335.844石 | ※8 | 26,335.844石 | ※9 |
| 大庭郡 | 20,351.965石 | ※10 | 20,351.965石 | ※11 |
| 真島郡 | 32,943.541石 | ※12 | 32,943.541石 | ※13 |
| 久米北条郡 | 28,777.480石 | ※14 | 28,777.480石 | ※15 |
| 久米南条郡 | 22,774.788石 | ※16 | 22,774.788石 | ※17 |
| 勝南郡 | 24,495.716石 | ※18 | 24,495.716石 | ※19 |
| 勝北郡 | 33,965.422石 | ※20 | 33,965.422石 | ※21 |
| 英田郡 | 13,509.232石 | ※22 | 13,509.232石 | ※23 |
| 吉野郡 | (不明) | ※24 | 19,937.113石 | ※25 |
| 総計 (国高) | 259,353.701石 | ※26 | 259,353.701石 | ※27 |
図録によれば、当時の記録に元禄13年(1700) 12月12日に完成した国絵図を提出したとの記録があるといい、松平備前守 (長矩) の名前とともに奥書の記載と矛盾しない。
| ^ ※1: | 後述。 |
| ^ ※2: | 「髙壹万六百五拾四石壹升三合」。 |
| ^ ※3: | 「髙壹万六百五拾四石壹舛三合」。 |
| ^ ※4: | 「髙壹万五千百貳拾石八斗三合」。 |
| ^ ※5: | 「髙壹万五千百貳拾石八斗三合」。 |
| ^ ※6: | 「髙壹万四百八拾七石七斗八升四合」。 |
| ^ ※7: | 「高壹万四百八拾七石七斗八舛四合」。 |
| ^ ※8: | 「髙貳万六千三百三拾五石八斗四升四合」。 |
| ^ ※9: | 「高貳万六千三百三拾五石八斗四升四合」。 |
| ^ ※10: | 「髙貳万三百五拾壹石九斗六升五合」。 |
| ^ ※11: | 「高貳万三百五拾壹石九斗六舛五合」。 |
| ^ ※12: | 「髙三万貳千九百四拾三石五斗四升壹合」。 |
| ^ ※13: | 「高三万貳千九百四拾三石五斗四舛壹合」。 |
| ^ ※14: | 「髙貳万八千七百七拾七石四斗八升」。 |
| ^ ※15: | 「高貳万八千七百七拾七石四斗八升」。 |
| ^ ※16: | 「髙貳万貳千七百七拾四石七斗八升八合」。 |
| ^ ※17: | 「高貳万貳千七百七拾四石七斗八升八合」。 |
| ^ ※18: | 「髙貳万四千四百九拾五石七斗壹升六合」。 |
| ^ ※19: | 「高貳万四千四百九拾五石七斗壹舛六合」。 |
| ^ ※20: | 「髙三万三千九百六拾五石四斗貳升貳合」。 |
| ^ ※21: | 「高三万三千九百六拾五石四斗貳舛貳合」。 |
| ^ ※22: | 「髙壹万三千五百九石貳斗三升貳合」。 |
| ^ ※23: | 「高壹万三千五百九石貳斗三舛貳合」。 |
| ^ ※24: | トリミングされ、収録範囲に含まれない。 |
| ^ ※25: | 「高壹万九千九百三拾七石壹斗壹舛三合」。 |
| ^ ※26: | 解題による。 |
| ^ ※27: | 「髙都合貳拾五万九千三百五拾三石七斗壹合」。 |
岡山県立記録資料館にも『〔美作国絵図〕』として『元禄美作国絵図』が現存し、資料目録および高精細画像ページでオンライン公開している。

画像データについて、前者 (資料目録) は「平成19年度デジタル化」とあり、2,962 × 2,413ピクセル、後者 (高精細画像ページ) は電子化の時期は不明だが、新たに作成したようで 9,858 × 8,626ピクセル、当然ながら後者のほうが高解像度ではある。しかし、おそらく合成することまで意図していなかった過去のポジフィルムによるためか、あるいはそもそも技術的に未熟なため、接合部が粗い上に全体の形状が歪んでおり、総合的な品質としては良好とはいえない※1。細部を検討する目的では活用できる。
本図 (原本) の大きさは 東西 184.7 × 南北 149.0cm で、正本相当といえる個人所蔵に比べると半分ほどに縮小されている。このため多くの村のオブジェクト (小判形) で文字が収まり切らずにはみ出てしまっている。しかし、もともとはっきりとした楷書体であることに加えて、強引に収めようとしていないことによって文字は判読しやすい。村高も漏れなく写され、そのほかも忠実に作成された写本に見える。
旧蔵の九津見家 (九津見氏) は勝山藩の三浦氏の重臣であり、三浦氏の美作国への移封は明和元年(1764) なので、これ以降に実用目的で本図が作成されたとみられる。藩領の真島郡内には◎印等の記号で追加の書き入れがあり、全体的にも付箋による補足が施されている。余白部分 (畾紙) の目録にある郡高は、個人所蔵では確認できない吉野郡以外で一致、総計である国高も一致することから吉野郡も一致する (個人所蔵の表を参照)。なお津山城は本図では「鶴山城」※2となっている。
| ^ ※1: | さらにいえば、ここまで変形したもので妥協できるのなら、資料本体・縮尺・色見本を除く部分はトリミングの上、色調補正を行ったもの公開すればよいと思われるが、それは行われていない。 |
| ^ ※2: | 「鶴」は「宀」の下に「隹」「鳥」がある異体字。 |
冒頭で言及のとおり、『天保美作国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、紅葉文庫山旧蔵 (#763972) がオンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保美作国絵図』は東西 389cm × 南北 272cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。
| ^ ※1: | 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。 |
| ^ ※2: | 『紅葉山文庫』(1980)。 |
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