美作国絵図

ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、美作国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。

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(1) 概要

美作国 (作州) は五畿七道のうち山陽道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保美作国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図美作国』(#763972) としてオンライン公開されている。

Fig.920 天保美作国絵図 (国立公文書館所蔵)
Fig.920 天保美作国絵図 (国立公文書館所蔵)

(2) 日本六十余州国々切絵図 美作国

日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 美作国』は文字どおりに美作国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 美作国』として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 142cm × 南北 109cm である。

ほかに『美作国[山陽道図]』京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 164cm × 南北 120cm、『〔美作国絵図〕』(T1-94)岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 164.1cm × 南北 116.7cm である。

(3) 広島県立歴史博物館所蔵

寛永美作国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図のうち美作国のものである。広島県立歴史博物館には『美作国絵図』が現存し、収蔵品データベースで参照できる。これが『寛永美作国絵図』の可能性がある。

美作国の郡構成は、他国と同様にいわゆる寛文印知 (寛文4年(1664) 4月5日付『森長継宛領知判物・目録』※1) を前後して 12郡から 10郡に再編・改称された。余白部分 (畾紙) にある目録によれば、本図は 12郡構成・改称前であることから、少なくとも正保国絵図かそれ以前の国絵図とわかる。

内容に注目すれば、本図では、宿駅らしい村 (町) は短冊形、それ以外の村は不定形の楕円で表現され、前者は黄で彩色されているが、後者は地色 (無彩色) のままである。郡内の見出しは短冊形で、黄で彩色されている。朱線であらわされた街道に一里塚はあるが、主・副 (本・脇) の区別があるようには見えず、川幅情報も見当たらない。国全体の形状は不正確で長方形に近く、『余州図』に似たところがある。

これらの特徴は寛永国絵図に近く、したがって本図は『寛永美作国絵図』の可能性がある。しかし残念ながら、画像データとしては全体が 1,600 × 1,092ピクセル、分割されたものでもこの 110%程度で、文字はほとんど判読できず、これ以上の詳細な調査は難しい。原本の大きさは東西 281.00cm × 192.40cm である。

注釈

(4) 正保美作国絵図 (ライデン大学図書館所蔵)

正保美作国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち美作国のものである。ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『美作国絵図 (Mimasaka no kuni ezu)』が現存・オンライン公開され、これが『正保美作国絵図』と推定される。

Fig.786 正保美作国絵図 (ライデン大学図書館 Universitaire Bibliotheken Leidens 所蔵)
Fig.786 正保美作国絵図 (ライデン大学図書館 Universitaire Bibliotheken Leidens 所蔵)

本図の大きさは東西 361.5cm × 南北 249cm で※1、余白部分 (畾紙) に目録があり、国郡高が記載されている。表にまとめれば以下のとおり。

国郡高の一覧 (ライデン大学図書館所蔵)
本図寛文印知※2
吉野郡
14,400.1石※3
吉野郡
14,400.1石※4
英田あいだ
1,0036.5石※5
英田郡
1,0036.5石※6
しょうぼく
25,356.2石※7
勝田郡
43,796.7石※8
しょうなん
18,440.5石※9
とうほくじょう
9.741.4石※10
とまきた
9.741.4石※11
とうなんじょう
7,277.8石※12
とまひがし
7,277.8石※13
西さいほくじょう
7,698.4石※14
とまみなみ
7,698.4石※15
西さいさいじょう
18,217.8石※16
とま西にし
18,217.8石※17
なんじょう
17,304.9石※18
久米郡
39,415.0石※19
ほくじょう
22,110.1石※20
大庭郡
14,490.6石※21
大庭郡
14,490.6石※22
真島郡
21,425.7石※23
真島郡
21,425.7石※24
総計 (国高)
186,500.0石※25
総計 (国高)
186,500.0石※26
人名森伯耆守 (森長武)人名森内記 (森長継)

美作国の郡構成は、他国と同様にいわゆる寛文印知 (寛文4年(1664) 4月5日付『森長継宛領知判物・目録』) を前後して 12郡から 10郡に再編・改称された。すなわち、勝北・勝南 2郡が勝田郡に、久米北条・久米南条 2郡が久米郡に統合され、古代の苫田郡に由来する東北条・東南条・西北条・西西条 (西々条) 4郡は、それぞれ苫北・苫東・苫南・苫西に改称された。このため 12郡かつ旧名の本図は、少なくとも正保国絵図かそれ以前の国絵図ということになる。

様式に注目すれば、本図では、街道に主・副 (本・脇) の区別があって、一里塚が明示され、このほか郡界・村のオブジェクト (小判形)・道程情報の記載など、正保国絵図の仕様に従って描かれている。したがって本図は『正保美作国絵図』といえる。

一方、目録の奥書には「森伯耆守」と記載され、森伯耆守は津山藩 第3代の長武であり、為政期間は延宝2年(1674) ~貞享3年(1686) である。このため、本図は明暦の大火後に現状を反映の上で再提出されたものの可能性が高い (ただし時期としてはやや遅い印象はある)。

注釈

(5) 正保美作国絵図 (個人所蔵A)

『平成24年度 特別展図録 江戸時代の地図づくり』(2012)によれば、個人所蔵の『正保美作国絵図』も現存し、同図録に収録されている※1。以降これを個人所蔵A とする。

本図の大きさは東西 372cm × 南北 280cm で、余白部分 (畾紙) の目録に記載された郡構成は、配列を含めてライデン大学図書館所蔵と同じであり、石高も186,500石 (『惣高合拾八万六千五百石』) で一致する。奥書には「美作一国之絵図 (美作一國之繪圖)」「森内記」と記されている。

本図は、印刷物かつ電子化における圧縮率の関係で詳細には検討できないが、見る限りは背景の自然描写まで含めて緻密に描かれ、控図か、あるいはそれに近い下絵図を控図として残したもの思われる。奥書の「森内記」は津山藩 第2代の長継であり、為政時期は寛永11年(1634)~延宝2年(1674) である。この時期は正保国絵図作成の期間にあたるので矛盾はない。なお寛文印知の判物にも長継の名前がある。

注釈

(6) 正保美作国絵図 (個人所蔵B)

『正保美作国絵図』は個人所蔵Aとは別に個人所蔵のものが存在する。以降これを個人所蔵B とする。これは『川上村史』(1980) などで「村上小平治所蔵」として言及されるもので、『江戸時代図誌 別巻1』(1977) に主要部分が収録されている※1。資料名は「美作一国之絵図」とあり、本図の場合、大幅にトリミングされているため目録の大部分は見えないが、個人所蔵Aと同様に、奥書には「美作一国之絵図 (美作一國之繪圖)」と記載されているようだ。また説明を読む限りは郡構成も同じである。

本図の大きさは東西360cm × 南北 273cmで、個人所蔵Aよりも少し小さく、余白部分 (畾紙) を狭くしているとみられ、目録と国境記載との間は本図のほうが狭く、余裕がない。このほか大庭郡内と、勝北・東北条 2郡にまたがる部分で、本来の郡別色ではなく白 (地色ではない) で塗られた村々がある。本図は折り目を起点とする水損が激しいが、たとえば下部の国境記載が集中する部分では、文字が水損の影響を受けていないように見える。部分的な修繕が試みられたのかもしれず、村々の白による彩色もひとまず文字を乗せるための処置だったのかもしれない。

注釈

(7) 元禄美作国絵図 (個人所蔵)

元禄美作国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち美作国のものである。『平成24年度 特別展図録 江戸時代の地図づくり』(2012)によれば、個人所蔵の『元禄美作国絵図』が現存し、同図録に収録されている※1

本図は帯状に 6分割され、南北方向に長く、1分割あたり東西 (幅) 62cm × 南北 285cm、全体では東西 372cm × 南北 285cm である。天保国絵図は、幕府から提供された元禄国絵図の分割写本に薄紙 (懸紙) を重ねて修正内容を記載し、提出するという方法が採用された。このため、このときの分割写本やこれを写したものが元禄国絵図として国許に残る場合がある。しかし美作国については、別にその分割写本に基づく『天保美作国絵図』の下絵図 (下図) が現存し※2、7分割かつ標準的な東西 (幅) 55cmである。また本図には余白部分 (畾紙) に目録が存在し、各村に村高が記載されている点も通常とは異なる。『元禄土佐国絵図』などのように保存目的で分割したのだろうか。

余白部分 (畾紙) の目録は、「美作国髙都合并郡色分目録」を表題として郡名・郡高の一覧と郡別彩色の凡例があり、『元禄美作国絵図』では郡構成が戻されたため、東南条・東北条・西北条・西西条 (西々条)・大庭・真島・久米北条・久米南条・勝南・勝北・英田・吉野の 12郡が記載されている。ただし、吉野郡およびそれ以降はトリミングされているので確認できない。解題によれば、総計 (国高) は 259,353.701石 (『高都合弐拾五万九千三百五拾三石七斗壱合』) で、奥書には元禄13年(1700) 12月の日付 (『元禄十三庚辰年十二月』) と松平備前守の名前が記されている。

本図は、もともとなのか用紙および撮影環境によるものかはわからないが、全体的に淡い印象があり、隣国色別の彩色も縁取り程度に留まる。しかし見る限りは、背景となる自然描写は緻密であり、正本同等と思われる。村のオブジェクト (小判形) は目録の色見本に反して彩色されていない。

国郡高の一覧 (>個人所蔵 元禄美作国絵図)
本図九津見家旧蔵※3
東南条郡
10,654.013石※4
10,654.013石※5
東北条
15,120.803石※6
15,120.803石※7
西北条郡
10,487.784石※8
10,487.784石※9
西々条郡
26,335.844石※10
26,335.844石※11
大庭郡
20,351.965石※12
20,351.965石※13
真島郡
32,943.541石※14
32,943.541石※15
久米北条郡
28,777.480石※16
28,777.480石※17
久米南条郡
22,774.788石※18
22,774.788石※19
勝南郡
24,495.716石※20
24,495.716石※21
勝北郡
33,965.422石※22
33,965.422石※23
英田郡
13,509.232石※24
13,509.232石※25
吉野郡
(不明)※26
19,937.113石※27
総計 (国高)
259,353.701石※28
259,353.701石※29

同図録によれば、当時の記録に、元禄13年(1700) 12月12日に完成した国絵図を提出した、との記録があるといい、奥書の記載と矛盾しない。

注釈

(8) 元禄美作国絵図 (九津見家旧蔵・岡山県立記録資料館所蔵)

岡山県立記録資料館にも『〔美作国絵図〕』として『元禄美作国絵図』が現存し、資料目録および高精細画像ページでオンライン公開されている。

Fig.993 元禄美作国絵図 (岡山県立記録資料館所蔵)
Fig.993 元禄美作国絵図 (岡山県立記録資料館所蔵)

画像データについては、前者 (資料目録) が「平成19年度デジタル化」とあって 2,962 × 2,413ピクセルであるのに対し、後者 (高精細画像ページ) は新たに作成したようで 9,858 × 8,626ピクセルの高解像度である。しかし、おそらく合成までは意図しなかった過去のポジフィルムによると思われ、接合部が粗い上に全体が歪んでいる (技術的にも未熟に感じられる)。

本図 (原本) の大きさは東西 184.7 × 南北 149.0cm で、正本相当といえる個人所蔵に比べれば、半分ほどに縮小されている。このため多くの村のオブジェクト (小判形) では、文字が収まり切らず、外にはみ出ている。しかし強引に収めようとしていないので、もともとはっきりとした楷書体であることもあって判読しやすい。村高も漏れなく写され、そのほかも忠実に作成された写本に見える。

旧蔵の九津見家 (九津見氏) は勝山藩の三浦氏の重臣であり、三浦氏の美作国への移封は明和元年(1764) なので、本図はこれ以降に実用目的で作成されたとみられる。藩領の真島郡内には◎印等の記号で追加の書き入れがあり、全体的にも付箋による補足が施されている。余白部分 (畾紙) の目録にある郡高は、個人所蔵では確認できない吉野郡以外で一致、総計である国高も一致することから吉野郡も一致する (個人所蔵の表を参照)。なお津山城は本図では「鶴山城」※1となっている。

注釈

(9) 天保美作国絵図

天保美作国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち美作国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保美作国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図美作国』(#763972) としてオンライン公開されている。

紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2

『天保美作国絵図』は大きさが東西 389cm × 南北 272cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。

注釈

(10) 一覧

種別解像度参照名称等
所蔵・公開
余州村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照日本六十余州国々切絵図 美作国 (#15745)
秋田県公文書館 デジタルアーカイブ 公開
余州村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照〔美作国絵図〕 (T1-94)
岡山大学 絵図公開データベースシステム 公開
余州村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照美作国[山陽道図]
京都大学 貴重資料デジタルアーカイブ 公開
寛永史料としての活用は限定される低解像度の画像がオンライン公開されている。参照美作国絵図
収蔵品データベース 公開 (広島県立歴史博物館 所蔵)
正保村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照Mimasaka no kuni ezu (美作国絵図) Ser. 287
Universitaire Bibliotheken Leidens (ライデン大学図書館) 所蔵
正保史料としての活用は限定される低解像度の画像がオンライン公開されている。参照正保美作国絵図
個人所蔵 (A)
正保オンラインでは参照できない、またはそもそも一般に公開されていない。参照正保美作国絵図
個人所蔵 (B)
元禄史料としての活用は限定される低解像度の画像がオンライン公開されている。参照元禄美作国絵図
個人所蔵
元禄村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照元禄美作国絵図 (高精細画像ページ)
岡山県立記録資料館 所蔵
天保村名の文字を明瞭に判読可能な高解像度の画像がオンライン公開されている。参照紅葉山文庫旧蔵 (#763972)
国立公文書館 デジタルアーカイブ 公開
天保オンラインでは参照できない、またはそもそも一般に公開されていない。参照勘定所旧蔵 (#764218)
国立公文書館 デジタルアーカイブ 公開

(11) 更新履歴

内容

:

  • 日本六十余州国々切絵図の記事について、表題を『日本六十余州国々切絵図 美作国』に変更し、説明を整理した。
  • ほかの記事について表現を中心に整理した。

:

  • ライデン大学図書館所蔵の記事を「正保美作国絵図 (ライデン大学図書館所蔵)」に改題・追補した。
  • 広島県立歴史博物館所蔵の記事を追補した。
  • 『正保美作国絵図』(個人所蔵A・個人所蔵B)・『元禄美作国絵図』(個人所蔵・岡山県立記録資料館所蔵) の記事を追加し (一部は一覧備考を外出し・追補)、岡山県立記録資料館所蔵について外観を示した。
  • 日本六十余州国々切絵図、および『天保美作国絵図』の記事を追加した。

:

  • 導入文を追加し、概要を追補した。
  • 『天保美作国絵図』について外観を示した。

:

  • 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
  • 同様に一覧表の備考に記載されていた記事を外に出して、冗長な表現などを適宜見直した。
  • 『正保美作国絵図』(ライデン大学付属図書館所蔵) について外観を示した。

:

  • 新規作成。