ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、美濃国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。
(1) 概要
美濃国は五畿七道のうち東山道に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保美濃国絵図』は紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図美濃国』(#764299) としてオンライン公開されている。

美濃・尾張・伊勢の国界 (国境)については『21. 木曽川・伊勢湾』を参照。
(2) 日本六十余州国々切絵図
『日本六十余州国々切絵図 (余州図)』は、秋田県公文書館に 68国のすべてが現存し、秋田県公文書館デジタルアーカイブで公開されている。『日本六十余州国々切絵図』の通称も同館のものによる。『余州図』についての一般論は『6.2. 日本六十余州国々切絵図』を参照。
![Fig.991 日本六十余州国々切絵図 美濃国 (『美濃国[中山道図]』・京都大学附属図書館所蔵・貴重資料デジタルアーカイブ公開)](../../images/knz/fig991knz.jpg)
上に示したのは『美濃国[中山道図]』※1で、京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 159cm × 南北 116cm である。 秋田県公文書館デジタルアーカイブでは『日本六十余州国々切絵図 美濃国』が公開され、大きさは東西 136cm × 南北 101cm、またほかに『〔美濃国絵図〕』(T1-67) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、東西 164.8cm × 南北 116.9cm である。
注釈
(3) 正保美濃国絵図 (岐阜県歴史資料館)
『正保美濃国絵図』は、昭和40年(1965) 現在で岐阜県立図書館※1にあり、『岐阜県史 史料編 近世1』(1965) に付図として収録されている。
本図は出版年代を反映してか、『東京市史稿 市街篇第6 附録』(1928) 所収の『正保武蔵国絵図』や『福岡県史資料』(1932~1939) 所収の各図が、別途作成の原版による多色刷りと推定されるのに対して、原本の撮影・印刷となっている。しかし技術的または予算上の制約によってモノクロである。四方はトリミングされている。
構成としては 4分割の上でそれぞれが別刷りとなっており、撮影単位かと思われる。したがって全体としてはかなり大きいが、フィルム撮影の限界により小さな文字の判読はかなり難しい。同じ『岐阜県史 史料編 近世1』(1965) に正保2年(1645)『美濃国郷帳』が収録されているので、内容の検討に当たっては併用が期待される。解説によれば、原本の大きさは東西 550cm × 南北 495cm で、正保2年(1645) 10月の日付 (『正保二年乙酉十月日』) が記載されているといい、裏面の表紙題簽内か、その付近と思われる。
原本はその後、岐阜県歴史資料館※2に移管されたようで、 Webサイト内「資料目録」の「行政文書」から「33 岐阜県・笠松県」を参照したリスト内「3
3-10美濃国絵図」で公開されている (JPEGファイルへのリンクが直接張られている)。

画像データとしては 7,982 × 7,194ピクセルで、これは原本の大きさを前提とすれば不十分だが、圧縮率は押さえられているので JPEG特有の歪みはなく、村名までおおむね判読できる (その付記や村高は判読できない)。
本図は彩色が簡略的であることと、村のオブジェクトに郡ごとの彩色がされていないことから、控図として作成されたものか、最終段階の下絵図が控図として国許に残されたものと考えられる。自然描写でいえば山陵の樹林帯・鹿の子模様は省略され、隣国色別の彩色には色むらが目立つ。とはいえ後代に作成された写本とは異なり、原寸大であり、また記載されている文字情報に不足はないように見え、史料的価値は大きい。
様式は正保国絵図のものであり、興味深い点をあげれば、まず郡内に記載された見出しがあって、本図では短冊形の枠を持っている。元禄国絵図では完全に枠はなくなるので、正本 (最終的に幕府に提出されたもの) における状況はわからないものの、ある意味で様式が完全には統一されていない正保国絵図の性質をあらわしている。また内容は、たとえば本巣郡であれば「本巣郡・六拾三ケ村 高合三万三千七百七石五斗五舛弐合 外高弐拾九石七斗三舛七合 新開」※3(空白部分で改行) と、郡名・村数・郡高を記載し、郡高は本田・新田 (新開) を区別している。これも正保国絵図の特色である。
また本図では街道が太さによって 3種類に区別されている。また一里塚を示す 2つの丸印は本道では墨だが、脇道では朱で区別され、さらに細い線には道程記載だけがあって一里塚は存在しない。
余白部分 (畾紙) にある目録には、郡見出しに詳細が記載されているためか、郡名・郡高の一覧はなく、支配関係の情報と総計・内訳だけが記載されている。支配関係は、美濃国の状況を反映して「いろは」記号が平仮名 47文字だけでは足りずに、片仮名の「イ~ヨ」 15文字まで使用してようやく全体が収まっており、なかなか壮観なものがある。総計として示されている石高は 627,966.112石※4で、内訳として以下の数値が記載されている。
| 本高 | 60,8054.978石 | ※5 |
| 新開 (新田) | 18,225.113石 | ※6 |
| 寺社領 | 1,686.021石 | ※7 |
郡高の一覧があったのであれば、新田 (新開) 分は外数として除かれるので、本高・寺社領を合わせたものが郡高の総計となり、国高は 609,740.999石となる。支配関係には新田 (新開) 分が含まれるので、その総計である 18,225.113石が、この国高 609,740.999石と上記 627,966.112石の差分となってあらわれている。
注釈
(4) 正保美濃国絵図 (松平乗命旧蔵)
国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) には美濃国のものが含まれ、現存する (#725264)。オンラインでは公開されていない。
この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『美濃国絵図』もオンラインでは公開されていないが、目録は国立公文書館デジタルアーカイブよりもやや充実している。
(松平乗命旧蔵としての) 原本の大きさは 『福井b』によれば東西 180cm × 南北 170cm で※1、写本の大きさは東西 190.5cm × 南北 170.0cm である※1。本図については『福井b』に詳細な検討があって、その内容・数値から岐阜県図書館旧蔵や正保2年(1645)『美濃国郷帳』※2と整合する『正保美濃国絵図』といえる。本図の場合、余白部分 (畾紙) の目録における総計の内訳について「御蔵入・諸給人・同新開・寺社領の四種に分けて合計を示している」とあり、岐阜県図書館旧蔵よりやや細かく、『美濃国郷帳』と同じである。
注釈
(5) 元禄美濃国絵図
『元禄美濃国絵図』は現存しないとみられる。岐阜県図書館デジタルアーカイブで公開されている『元禄十一年美濃国絵図』は略図 (縮図) であり、かつ様式も異なる。
(6) 天保美濃国絵図
『天保美濃国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち美濃国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保美濃国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵・勘定所旧蔵の両方が現存し、前者 (紅葉山文庫旧蔵) が『天保国絵図美濃国』(#764299) としてオンライン公開されている。ほかに縮図が存在する。ただし縮図については『福井a』では「下図」とある。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保壱岐国絵図』は大きさが東西 587cm × 南北 492cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。
注釈
(7) 一覧
(8) 更新履歴
内容
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- 『正保美濃国絵図』の記事を岐阜県歴史資料館から得た情報をもとに修正し、また外観を示した。
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- 松平乗命旧蔵・松平乗命旧蔵(写) を一覧に追加し、記事にまとめた。
- 『正保美濃国絵図』について追加調査の結果を一覧に反映し、記事にまとめた。
- 『日本六十余州国々切絵図』の記事を追加し、また外観を示した。
- 『天保美濃国絵図』の記事を追加した。
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- 導入文を追加し、概要を追補した。
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- 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
- 『天保美濃国絵図』について外観を示した。
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- 新規作成。