オンラインで参照できる山城国絵図 (山城国の国絵図) のリストと詳細情報を提供しているページです。
↓一覧へ移動山城国は五畿に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保山城国絵図』は勘定所旧蔵 (#764061) が現存・オンライン公開されている。

山城国については正保以降の国絵図 (『正保山城国絵図』『元禄山城国絵図』『天保山城国絵図』) が現存し、これは比較的充実しているほうである。『正保山城国絵図』についてはライデン大学図書館所蔵がオンライン公開されている。
『日本六十余州国々切絵図 (余州図)』は、秋田県公文書館に 68国のすべてが現存し、秋田県公文書館デジタルアーカイブで公開されている。『日本六十余州国々切絵図』の通称も同館のものによる。『余州図』についての一般論は『6. 寛永国絵図・日本六十余州国々切絵図』を参照。
秋田県公文書館デジタルアーカイブでは『日本六十余州国々切絵図 山城国』が公開され、東西 101cm × 南北 135cm、ほかに『山城国[畿内図]』 が京都大学貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 116cm × 南北 156cm、『〔山城国絵図〕』(#T1-80) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、東西 116.5cm × 南北 164.5cm である。

本図の大きさは東西 158cm × 南北 240cm で※1、余白部分 (畾紙) に目録があり、国郡高が記載されている。これを延宝8年(1680)『山城国中御知行高郡数里数控写』※2の国郡高と比較すれば以下のようになる。
| 郡 | 本図 | 延宝8年(1680) | ||
|---|---|---|---|---|
| 葛野郡 | 35,047.7石 | ※3 | 35,047.7029石 | ※4 |
| 愛宕郡 | 26,489.4石 | ※5 | 26,489.4550石 | ※6 |
| 宇治郡 | 15,211.9石 | ※7 | 15,211.9820石 | ※8 |
| 紀伊郡 | 24,730.9石 | ※9 | 24,730.9183石 | ※10 |
| 乙訓郡 | 25,859.0石 | ※11 | 25,859.0847石 | ※12 |
| 久世郡 | 22,394.8石 | ※13 | 22,094.8800石 | ※14 |
| 綴喜郡 | 28,660.5石 | ※15 | 28,660.5090石 | ※16 |
| 相楽郡※17 | 37,591.0石 | ※18 | 37,591.0900石 | ※19 |
| 総計 (国高) | 215,985.6石 | ※20 | 215,985.6220石 | ※21 |
本図の国郡高は升以下が省略されているが、この点を除けば久世郡以外で双方の数値は一致する。久世郡については、22,094.8800石では郡高の合計が 215,685.6219石となって国高 215,985.6220石と一致せず、 本図の値を適用して 22,394.8800石とすれば、郡高の合計は 215,985.6219石となって国高と合致する。
延宝8年(1680)『山城国中御知行高郡数里数控写』は『田辺町近世近代資料集』(1987)所収の郷帳で※22、奥書に延宝8年(1680) 11月の日付 (『延宝八庚申霜月下旬』) が記載されている。一方、『精華町史 史料篇1』(1989)所収の郷帳に寛文9年(1669)『山城国村高覚帳』があり※23、奥書に寛文9年(1669) 9月の日付 (寛文九巳酉年九月) が記載されている。この郷帳は大部分が省略され、相楽郡の郡高と国高だけが得られるだけだが、次の中川忠英旧蔵・松平乗命旧蔵 に示すように、その郡高は 37,591.0900石、国高は215,985.6217石とあって合致する。したがって、延宝8年(1680)『山城国中御知行高郡数里数控写』の国高郡は基本的に寛文9年(1669)『山城国村高覚帳』を継承するものといえ、本図は『正保山城国絵図』と考えることができる。
しかし様式の点では、本図には疑問点が多い。まず朱線であらわされた街道について一里塚がなく本道・脇道の区別もない。また村のオブジェクトは真円に近く、郡ごとの色で彩色されているが、郡界の墨線も見出し記載も存在しない。一方で、道程記載は詳細 (ほとんどが外にまとめて記載されている) で川幅記載・国境記載も十分にあり、隣国色分けも施されていることから悩ましい。
なお上記で「合致する」とした数値は完全には一致しないが、これは本来才の位 (小数点以下第5位) まである※24各郡高が延宝8年(1680)『山城国中御知行高郡数里数控写』では省略されているためと考えられる。
| ^ ※1: | 『小野寺』による。数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。 |
| ^ ※2: | 後述。 |
| ^ ※3: | 「高三万五千四拾七石七斗餘」。 |
| ^ ※4: | 「高合三万五千四拾七石七斗弐合九夕」。 |
| ^ ※5: | 「高貳万六千四百八十九石四斗余」 |
| ^ ※6: | 「高合弐万六千四百八拾九石四斗五升五合」 |
| ^ ※7: | 「高壹万五千二百拾一石九斗餘」。 |
| ^ ※8: | 「高合壱万五千弐百拾壱石九斗八升弐合」。 |
| ^ ※9: | 「高貳万四千七百卅石九斗余」。 |
| ^ ※10: | 「高合弐万四千七百三拾石九斗壱升八合三夕」。 |
| ^ ※11: | 「高貳万五千八百五拾九石餘」。 |
| ^ ※12: | 「高合弐万五千八百五拾九打八升四合七夕」。 |
| ^ ※13: | 「高貳万二千三百九拾四石八斗余」。 |
| ^ ※14: | 「高合弐万弐千九拾四石八斗八升」 |
| ^ ※15: | 「高二万八千六百六拾石五斗余」。 |
| ^ ※16: | 「高合弐万八千六百六拾石五斗九合」。 |
| ^ ※17: | 古くは「相楽郡」。 |
| ^ ※18: | 「高合三万七千五百九拾一石余」。 |
| ^ ※19: | 「合三万七千五百九拾壱石九升」。 |
| ^ ※20: | 「都合高貳拾壹万五千九百八拾五石餘」。 |
| ^ ※21: | 「高都合弐拾壱万五千九百八拾五石六斗弐升弐合」。 |
| ^ ※22: | cc.55-61。 |
| ^ ※23: | cc.348-349。 |
| ^ ※24: | 換算値と思われる。 |
国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には山城国のものが含まれ、現存する (#714236)。オンラインでは公開されていない。『福井』によれば大きさは東西 225cm × 南北326cm※1、記載されている国高は 215,985.6217石 (都合弐拾壱万五千九百八拾五石六斗弐升壱合七勺) である。
また同じく国立公文書館所蔵、松平乗命旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国絵図』) にも山城国のものが含まれ、現存する (#725010)。オンラインでは公開されていない。『福井』によれば、記載されている国高は 215,985.6217石 (都合高弐拾壱万五千九百八拾五石六斗弐升壱合七勺) である。大きさは明示がなくわからない。
この松平乗命旧蔵の国絵図群には、松平乗命から明治政府へ渡る前後 (明治5~6年(1872~1873))に、京都府が一式を借用して忠実に模写したものも存在し、京都府立京都学・歴彩館に現存、館古044: 国絵図という一群で管理されている。その『山城国絵図』もオンラインでは公開されていないが、目録は国立公文書館デジタルアーカイブよりも充実し、国郡高が記載されている。大きさは東西 227.0cm × 南北 364.3cm※1である。
これらの数値を寛文9年(1669)『山城国村高覚帳』※2の国郡高と比較すれば以下のようになる。
| 郡 | 中川忠英旧蔵※3 松平乗命旧蔵※4 | 山城国村高覚帳 | |
|---|---|---|---|
| 葛郡 | 35,047.70286石 | (不明) | ※2 |
| 愛宕郡 | 26,489.45481石 | ||
| 宇治郡 | 15,211.98201石 | ||
| 紀伊郡 | 24,730.90832石 | ||
| 乙訓郡 | 25,859.80470石 | ||
| 久世郡 | 22,394.88000石 | ||
| 綴喜郡 | 28,660.50900石 | ||
| 相楽郡 | 37,591.09000石 | 37,591.09000石 | ※5 |
| 総計 (国高) | 215,985.62170石 | 215,985.62170石 | ※6 |
上記のとおり、相楽郡を除くほかの郡高については比較できないが、その相楽郡と国高は一致し、国高は才の位 (小数点以下第5位) まで一致するので、本図は『正保山城国絵図』と考えることができる。様式についてはオンラインでは公開されていないため確認できない。京都府立京都学・歴彩館所蔵の松平乗命旧蔵(写)では「正保図の下図的なもの」とされる。
寛文9年(1669)『山城国村高覚帳』は「前田鋭子家文書」とあり、町内の個人所蔵と思われ、残念ながらほかに収録している史料集等が見当たらない。また『長岡京市史 本文編2』(1997)』 によれば、慶安元年の日付が記載された正保郷帳の写本が存在し、『山城国郡村々之惣高書覚帳』と呼称されている。これについても「石田政房家文書」とあり、以内の個人所蔵と思われ、残念ながら同様にほかに収録している史料集等が見当たらない。
| ^ ※1: | 数値が東西・南北のどちらかは本稿で判断した。 |
| ^ ※2: | 前項ライデン大学図書館所蔵で言及したように、大部分が省略されているため相楽郡の郡高と国高以外は得られない。 |
| ^ ※3: | 郡高は不明、総計 (国高) は『福井』による。 |
| ^ ※4: | 京都府立京都学・歴彩館の目録による。 |
| ^ ※5: | 「高合三万七千五百九拾壱石九升」 |
| ^ ※6: | 「都合弐拾壱万五千九百八拾五石六斗弐升壱合七勺」 |
『正保山城国絵図』は宇治市歴史資料館※1にも現存する。この国絵図は、『宇治市歴史資料館年報 令和2年度』(2020) によれば※1特別展で展示される程度で常設ではないようだ。当然、オンラインでは公開されていない。
『小野寺』によれば、ライデン大学所蔵は、宇治市歴史資料館所蔵の山城国絵図と「一国高・郡高 (斗以下略) が一致している」という。『地図ニュース 258』(1994) に引用されている新聞記事によれば、大きさはおよそ東西 280cm × 南北 390cmとある。また『精華町史 本文篇』(1996)に掲載されている部分図によれば、一里塚が描かれ、郡界も引かれている。このため本図は少なくともライデン大学所蔵とは異なり、様式の点でも『正保山城国絵図』として疑いのないものといえる。
| ^ ※1: | 自治体 Webサイトに特有の数字を含む URLのため、変更される可能性がほかに比べて高いことに注意。 |
元禄国絵図は国立公文書館に多く現存し、下総・常陸・日向・薩摩・大隅が正本、五畿 (大和・山城・河内・和泉・摂津) とその周囲である近江・丹波・播磨が写本である (令制国 68国ではないものを除く、元禄国絵図の一般論については『8. 元禄国絵図』を参照)。

『元禄山城国絵図』(#3146790) は写本のひとつである。山城国の場合は比較するものがないが、『元禄近江国絵図』の例から、背景の自然描写では山陵と森林の多くが省略されているとみられる。実際『天保丹波国絵図』と比較するとその数は少ない。大きさは東西 233cm × 南北 328cm、目録の奥書相当の部分には元禄13年(1700) 12月の日付 (『元禄十三庚辰年十二月』) と石川主殿頭の名前がある。
冒頭で言及のとおり、『天保山城国絵図』は国立公文書館に勘定所旧蔵 (#764061) が現存・オンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった書庫、勘定所は勘定奉行を長とする役所であり、したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照目的のために納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保山城国絵図』は東西 277cm × 南北 355cm、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。天保国絵図一般については『9. 天保国絵図』を参照のこと。
| ^ ※1: | 「紅葉山文庫」はほかの各種用語と同様、近代以降の俗称・学術用語。近世は主に「御文庫」と呼ばれ、「官庫」とも呼ばれた。 |
| ^ ※2: | 『紅葉山文庫』(1980)。 |
→ 『凡例』
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