ここでは、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図のうち、和泉国絵図について詳細をまとめています。一覧は末尾にあります。
(1) 概要
和泉国は五畿七道のうち五畿に属する国である。国立公文書館所蔵の『天保和泉国絵図』は紅葉山文庫旧蔵が現存し、『天保国絵図和泉国』(#764270) としてオンライン公開されている。

摂津・和泉・和泉 3国の国界 (国境) については『30.3. 摂津・和泉・河内の国絵図』を参照。
(2) 慶長和泉国絵図
『慶長和泉国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の最初、慶長年間(1596~1615) に作成された慶長国絵図のうち和泉国のものである。ライデン大学図書館 (Universitaire Bibliotheken Leidens)では『和泉国絵図 (Izumi no kuni ezu)』が現存・オンライン公開されており、これが『慶長和泉国絵図』である。

本図には、余白部分 (畾紙) の目録に「和泉国四郡絵図 (和泉國四郡繪圖)」の内題があり、慶長10年(1605) 9月の日付 (『慶長拾年九月日』) が記載されていることから、慶長国絵図であると明確にわかる国絵図のひとつである。同様のものはほかに『慶長摂津国絵図』と『慶長小豆島絵図』しかない。

和泉国の慶長国絵図には東京大学総合図書館 (南葵文庫) 所蔵の写本も現存し、記載されている国郡高は本図と一致し、目録の内容も共通する。本図の大きさは 東西 127cm × 291cm※1、南葵文庫所蔵は 東西 149cm × 南北 235cm※2である。
以下に本図と南葵文庫所蔵の目録記載内容を示す。後者については、『川村b』で同図を担当した福島の『慶長十年九月和泉国絵図について』※3を参照した。
| 項目 | 本図※4 | 南葵文庫所蔵※5 | 比較 |
|---|---|---|---|
| 大鳥郡 | 里数百五村 | 里数百五村 | 一致 |
| 大鳥郡高三万九千六百八拾三石九斗壱升七合 | 大鳥郡高三万九千六百八拾三石九斗一升七合 | 一致 | |
| 田畑数三千七拾四町八反弐畝十歩 | 田畑数三千七拾四町八反弐畝拾歩 | 一致 | |
| 泉郡 | 里数九十一村 | (欠) | 南葵文庫: 欠 |
| 和泉郡高弐万八千四百廿石五斗八升 | 泉郡高弐万八千四百廿石五斗八升 | 郡名表記: 不一致、十位: 福島の原表記は『卅』 | |
| 田畑数弐千三百六拾七町五反壱畝 | 田畑数二千三百六拾七町五反壱畝 | 一致 | |
| 南郡 | 里数八十村 | (欠) | 南葵文庫: 欠 |
| 南郡高三万百拾弐石四斗六升八合 | 南郡高三万百拾弐石四斗六升八合 | 一致 | |
| 田畑数弐千百五拾六町壱反十五歩 | 田畑数弐千百五十六町壱反拾五歩 | 一致 | |
| 日根郡 | 里数九十一村 | (欠) | 南葵文庫: 欠 |
| 日根郡高三万九千四百廿九石八斗三升七合 | 日根郡高三万九千四百廿九石八斗三升七合 | 一致、ただし十位の福島原表記は『卅』 | |
| 田畑三千百四拾九町八反四畝五歩 | (欠) | 南葵文庫: 欠 | |
| 総計 (国高) | 都合拾三万七千六百四拾六石七斗九升 | 都合拾三万七千六百四拾六石七斗九升 | 一致 |
| 田方拾壱万六拾六石五斗六合 | 田方拾壱万六十六石五斗六合 | 一致 | |
| 田数八千町九反七畝八歩 | 田数八千町九反七畝八歩 | 一致 | |
| 畑方弐万七千五百四拾石弐斗八升七合 | (欠) | 南葵文庫: 欠 | |
| 田畑数合壱万七百四拾八町弐反八畝 | 田畑合壱万七百四拾八町弐反八畝 | 南葵文庫: 「数」欠 | |
| 小物成 | 右之外小物成 合七百拾石壱斗 山手米 合三万四拾五貫六拾文 所々浦役銭 | 右之外小物成 合七百拾石壱斗 山手米 合三百四拾五貫六十文 所々浦役銭 | 一致 |
| 寺社領 | 右高領之内 一千百五拾石三斗 寺社領 | 右高頭之内 一千百五拾石三斗 寺社領 | 本図: 誤記 |
| 奥書 | 和泉国四郡絵図 慶長拾年九月日 | 和泉国四郡絵図 伏屋飛騨守 水原石見守 友松次右衛門 改之 慶長十年九月日 片桐市正 | 本図: 人名全欠 |
| 縮尺表記 | あり | なし | 南葵文庫: 欠 |
上記によれば、本図にはあっても南葵文庫所蔵では欠けている情報が多い。しかし南葵文庫所蔵の奥書に記載された人名は本図ですべて欠けている。次に様式についてをまとめれば以下のとおりである。
| 城下 | 記号化された岸和田城がある。形状は多角形 (長方形の組み合わせ)、村のオブジェクトと同様の細枠、赤で彩色されている。 | |
| 村 | オブジェクトは不定形のほぼ真円、郡別の彩色。村名はその中に記載、基本的に接尾辞はあるが省略されているものもあり、また「寺」や「谷」が接尾辞と考えられるものもある。表記は漢字を基本として漢字仮名交じりも多い。村名が記載されていないものは、その時点で原本の損傷 (虫喰いか、表面顔料の剥離) で読み取れなかったものと考えられる。また村高のないものは、その後の標準的な記法では「○○村之内」と付記される、ほかの村に包含される村と考えられる。 | |
| 宿駅 | 区別はみられない。 | |
| 郡 | 見出し | 枠なし、郡名だけ。大鳥郡は記載がなく、また和泉郡は「泉郡」と表記されている (目録では『和泉郡』)。 |
| 境界 (郡界) | なし。 | |
| 街道 | 朱線、一里塚あり (本道)、道程情報なし。本道・脇道で線幅に違いはないが、一里塚の有無で区別できる。 | |
| 航路 | なし。 | |
| 国界 (国境) | 国境 情報 | 紀伊国側に「紀州サイカ越」2箇所、「紀州若山之城越」、「紀州根比越」、「大木越」「紀伊國小川越」の併記、「葛城越」「紀伊國江越」の併記、「七越道」「紀伊國江越」の併記、および「紀伊國越」。摂津国側に記載はなく、また境界は漠然としている。海側は堺付近に「境ヨリ兵庫迄 海上拾里」、岸和田付近に「摂州兵庫津迄海上拾貳里」の記載がある。 |
| 隣国 色別 | なし。 | |
| 方角記載 | あり、ただし北と西だけ。 | |
| 川幅情報 | なし。 | |
| 目録 | 略 (前述)。 | |
| その他 | 村のオブジェクトのうち、府中 (『苻中』) は赤で彩色されている。また小さめのオブジェクトがあり、外に「シノ田宮」と記載されている。一里塚の 2つの円は大きめ。 | |
なお形状はどちらも不正確で大きく歪んでいる。しかしその歪み方は双方で異なっており、目録がなければ、同じ対象を描いているとはすぐに理解できない。海岸の描き方も双方で異なっている。本図では直線状の中央~南部に対して北部で 90度近く向きを変えている一方、南葵文庫所蔵では中央部付近が大きく湾曲している。
注釈
(3) 日本六十余州国々切絵図 和泉国
日本六十余州国々切絵図 (余州図) は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 2番目、寛永年間(1624~1644) に作成された寛永国絵図の略図・縮図と考えられている国絵図である。余州図は五畿七道 68国のすべてが秋田県公文書館に現存し、「日本六十余州国々切絵図」の通称も同館のものによる。『日本六十余州国々切絵図 和泉国』は文字どおりに和泉国の余州図であり、『日本六十余州国々切絵図 和泉国』(#15733) として秋田県公文書館デジタルアーカイブでオンライン公開され、大きさは東西 103cm × 南北 74cm である。
ほかに『和泉国[畿内図]』 が京都大学 貴重資料デジタルアーカイブで公開され、大きさは東西 78cm × 南北 112cm、『〔和泉国絵図〕』(T1-79) が岡山大学 絵図公開データベースシステム で公開され、大きさは東西 78.0cm × 南北 108.6cm である。
『〔和泉国絵図〕』(T1-79) には 「異本ニ南郡ト云不見
」、『和泉国[畿内図]』にも「異本ニ南郡ト云ハナシ
」の付記がある。
(4) 正保和泉国絵図 (南波松太郎旧蔵)
『正保和泉国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成されたと考えられている国絵図の 3番目、正保年間(1644~1648) から慶安年間(1648~1652) にかけて作成された正保国絵図のうち和泉国のものである。南波松太郎旧蔵の古地図コレクションに含まれ、現在は神戸市立博物館所蔵の『和泉国絵図』がこれにあたる。
本図は、神戸市立博物館 Webサイトの「常設展示」から「コレクション展示室」「古地図」「これまでの展示」「国絵図の系譜」と参照すると、「和泉国絵図 江戸時代前期 当館蔵 (南波松太郎コレクション)」として紹介されている。とはいえ 600 × 330ピクセルの画像では外観を参照できるだけである。『江戸時代図誌 18』(1976) および『江戸時代図誌 別巻1』(1977)には本図が見開きで掲載され、モノクロかつトリミングもされているが、ある程度の内容は確認できる。
それによれば、本図では、街道に正・副 (本・脇) の区別があって一里塚も示され、村のオブジェクト (小判形) には「いろは」記号で支配別が示されるなど正保国絵図の様式に従っている。また、道程情報や国境情報も過不足があるようには見えず、海側には航路や沿岸情報も記載され、岸和田城下は方形で記号化されている。
本図の大きさは長辺 251.5cm × 短辺 134.5cm で、余白部分 (畾紙) の目録に示された国郡高は以下のとおりである。なお支配別の「いろは」記号は「御蔵入」(幕府直轄領) の「い」にはじまって岡部・小出・片桐・小堀各領の「ろ~ほ」と寺領の「へ」が記載されている。
注釈
(5) 正保和泉国絵図 (中川忠英旧蔵)
国立公文書館所蔵、中川忠英旧蔵の国絵図群 (通称『日本分国図』) には和泉国のものが 2分割された形式で含まれ、そのうち南部がオンライン公開されている (#714362)。北部 (#714363) も現存するがオンラインでは公開されていない。

南波松太郎旧蔵の郡高一覧に合わせて併記したように、本図の余白部分 (畾紙) の目録に記載されている国郡高は同図に一致し、確認できる範囲で記載内容も変わらない。したがって本図も同じ系統の『正保和泉国絵図』と確認できる。
本図では村高と知行別の「いろは」記号は省略されている。またこのため、オンライン公開されている部分で見る限りは目録に支配別の一覧は含まれない。大きさは全体で長辺 415cm × 短辺 204cm である※1。
注釈
(6) 元禄和泉国絵図
『元禄和泉国絵図』は、江戸期 (江戸時代) に全国規模で作成された国絵図の 4番目、元禄年間(1688~1704) に作成された元禄国絵図のうち和泉国のものである。元禄国絵図は国立公文書館に多く現存し、下総・常陸・日向・薩摩・大隅が正本、五畿 (大和・山城・河内・和泉・摂津) とその周囲である近江・丹波・播磨が写本である (令制国 68国ではないものを除く)。本図もその一部であり、『元禄国絵図和泉国』(#764247)として現存・オンライン公開されている。

『元禄近江国絵図』と同様、本図も背景となる自然描写は簡略化されているとみられ、『天保和泉国絵図』に比較して山陵と森林がかなり少ない。大きさは 東西 137cm × 南北 295cm、元禄15年(1702) 3月の日付 (『元禄十五壬午年三月』) と、岡部美濃守の名前が記されている。
(7) 天保和泉国絵図
『天保和泉国絵図』は、江戸期に全国規模で作成された国絵図の最後、天保年間(1830~1844) に作成された天保国絵図のうち和泉国のものである。冒頭で言及したとおり、『天保和泉国絵図』は国立公文書館に紅葉山文庫旧蔵が現存し、『天保国絵図和泉国』(#764270) としてオンライン公開されている。
紅葉山文庫※1は江戸城内にあった、将軍の利用を原則とする書庫 (図書館) であり、勘定所は勘定奉行を長とする役所である。したがって紅葉山文庫旧蔵は保存と限定的な参照を目的に納められたもの、勘定所旧蔵は実務に供されたものとなるが、紅葉山文庫旧蔵も必要に応じて借用・参照されたようである※2。
『天保和泉国絵図』は大きさが東西 180cm × 南北 297cm で、目録の奥書部分には、全国一律に天保9年(1838) の日付 (『天保9年戊戌五月』) と明楽飛騨守・田口五郎左衛門・大沢主馬の名前が記されている。
注釈
(8) 一覧
(9) 更新履歴
内容
:
- 『日本六十余州国々切絵図 和泉国』の記事を追加した。
- 中川忠英旧蔵の記事について、南波松太郎旧蔵についての部分を分離し、新たに「正保和泉国絵図』(南波松太郎旧蔵)」としてまとめた。またタイトルを「正保和泉国絵図 (中川忠英旧蔵)」に変更の上で、残る部分の内容を見直した。
- 『元禄和泉国絵図』の記事を若干、追補した。
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- 『天保和泉国絵図』の記事を追加した。
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- 『慶長和泉国絵図』の記事について様式を中心に追補した。
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- 『慶長和泉国絵図』(ライデン大学付属図書館所蔵) の記事について、タイトルを「ライデン大学図書館所蔵」から「慶長和泉国絵図」に変更の上で追補した。
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- 『元禄和泉国絵図』の記事を追加し、また外観を示した。
:
- 導入文を追加し、概要を追補した。
- 『天保和泉国絵図』について外観を示した。
:
- 構成を再整理し、概要を追加した。誤字・脱字を適宜修正した。
- 同様に一覧表の備考に記載されていた記事を外に出して、表現などわかりづらいところを適宜、見直した。
- 『慶長和泉国絵図』(ライデン大学付属図書館所蔵) について外観を示した。
:
- 新規作成。